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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.54「ホームリンク」

 

 

 横浜市体育協会のYさんから「横浜銀行アイスアリーナ」と聞いて、どこのことかピンと来なかった。東神奈川駅から徒歩と聞いて「神奈川スケートリンクじゃなくて?」とつい言ってしまった。読者よ、ご存知でしたか。横浜市神奈川区、反町公園に隣接したスケート場は2015年12月に建て替わって、「横浜銀行アイスアリーナ」として新装オープンしていた。「横浜銀行」がついているのは、もちろんネーミングライツだ。地元・横浜のスポーツ公共財に名前を冠して、21世紀のウインタースポーツを支えていこうという心意気だ。

 

 建物が良くなっていて驚いた。決して豪華なわけじゃなく、シンプルなモダニズム建築なんだけど、今、首都圏のスケート施設でダントツに新しくカッコいい。僕は数年前まで日光アイスバックスというホッケーチームの取締役をやってたから、全国のスケート施設の様子をある程度把握している。新しいのは例えば新潟市の「新潟アサヒアレックスアイスアリーナ」だ。に対し首都圏のリンクは大概、老朽化がすすんでいてちょっと残念なのだ。

 

 その新しくてカッコいいリンクで青木祐奈選手の取材をすることになった。神奈川フィギュアスケーティングクラブ所属の美少女。2002年1月10日生まれの14歳だ。

 

2014年3月、ISU公認・国際B級大会 クープ・ド・プランタン2014 アドバンスノービス 優勝。10月、第18回全日本ノービス選手権大会 ノービスA 優勝。11月、JOCジュニアオリンピックカップ 第83回全日本ジュニア選手権大会 5位。

 

2015年1月、平成26年度全国中学校体育大会 第35回全国中学校スケート大会 4位(フリースケーティング 1位)。8月、ISUジュニアグランプリ ラトビア大会 7位。11月、JOCジュニアオリンピックカップ大会 第84回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会 7位。

 

 すごく面白いところに着けている。間違いなく日本のトップクラスだ。ジュニアを卒業するすごく難しい時期(心も身体も成長し、どう伸ばしていくかとてもデリケートだ)に軽々なことは言いたくないが、今後のチャレンジ次第でオリンピック選手も十分あり得る。話をしたらどんな感じの子だろう。自分のいる場所や世界全体はどんな風に見えているだろう。僕は興味津々だ。リンク内の冷えた空気を感じつつ、スタンド席に陣取って、まず、青木選手の練習を見学する。

 

 リンク内の光景は僕には懐かしいものだった。採暖室やスタンドにお母さん方がいて、練習中の小さな選手らを見守っている。氷の匂いがする。それから、氷を蹴るシャシャッという音の連なり。僕は北海道釧路市でスケートを覚えて、小学4年生くらいまでフィギュアを続けた。4年生で少年野球チームに入団して、スケートはやめてしまうが、アイスリンクの光景は原風景だ(たぶんアイスホッケーチームの仕事をしているのも、そのせいだ)。家族はそのままフィギュアを続けて、母はインストラクターになり、妹は品川プリンスのリンクに通っていた。

 

 その日、青木選手はそれほど本格的な練習をしていたわけじゃない。難易度の高いジャンプを見たわけでもないし、例えばネット動画で大会の演技を確認したほうがずっと実力はわかると思う。ただ同じリンクの空間にいないとわからないことがある。存在感のようなことだ。雰囲気といってもいい。僕はリンク上に沢山のジュニア選手がいるなかで、すぐ青木祐奈さんを発見した。うまく言えないが、パッと目が行くのだ。僕はこれはすごく大事なことだと思う。

 

 練習が終わってインタビューに応じてくれた。

 

 おつかれ様です。スケートを始めた5歳の頃の原風景を教えてください。どんな風に見えました?

 「最初は小さいサブリンクでお母さんと一緒に滑ったんですけど、周りではビュンビュンビュンビュン滑ってる子たちがいっぱいいて。でも私は、壁につかまって立つのがやっとだったから、あんまり周りも見れずに。でも、すごいなって思って。そういうところでクルクル回ってるのがとにかくすごいと思って。技も知らないから、それですごく魅力的で。さらにはまったっていう感じです」

 

 最初、滑れるようになったとき感動しなかったですか?

 「すごいしました。お母さんなしで、壁もなしで立てるようになったときは、本当に『イエイッ!』ってなって、さらに楽しくなっちゃって(笑)。どんどんどんどんいろんなことに挑戦するのが毎回楽しみで、バックに滑ってみたりとか、変なことでも何かをやるのが好きだったから、そういうのが楽しかった」

 

 でも、だんだん練習で友達と遊べなかったり、学校からすぐリンクへ行くとか、今日なんかでも朝練やってから学校に行くだとか。生活がスケート中心になって普通の子と変わっちゃうでしょ、それはどう思ってました?

 「最初はそういうことも気にしなかったけど、だんだん年頃になってくると、やっぱり遊びたいなって思ったりするときもあって。特に中1とか中2の時とかは、やっぱりみんなが遊んでるから、そういうのに入りたいなって思ったときはあったけど、最近はあんまりそんなこと思わなくて。みんなもやっぱり受験で勉強も忙しいし。でも、こっちは自分で選んでることだから、自分がやりたいことを優先にやってるから。それはお母さんたちも協力してくれるから、そういうのは大事に、遊ぶとか優先にしないで、今やるべきことをちゃんとやってから遊びたいなって思います」

 

 一回もぶれてないですか? やめたいと思ったことはない?

 「あ、いや、ぶれたときはあります(笑)。でもやっぱり、最終的に思い返してみると、自分がやりたいのはこれかなって思っちゃうから。去年はすごく行き詰まっちゃって、練習も嫌で嫌で、なんか本当に練習したくないとか、もう辞めたいとか思ったことが何回もあったんですけど、それでもやっぱり試合で勝ったときとか、ジャンプが跳べたときとか、新しいものに挑戦してできたときっていうのは、達成感がすごくあるので、そういうのを思い返すと、今ここで辞めたりしたらもったいないなって思ってしまって、今ここまで来てるから最後まで突き通そうというのは、ずっと前からあります」

 

 性格としては突き詰めていくほう? 切り替えがきくほうですか?

 「あんまりうまく切り替えられないほうです」

 でも切り替えないほうが強いっていうときも絶対ありますね、選手は。

 「どうしてもそこに深くなっちゃって。そのことになって考えちゃうから、それで逆に自分で追いこんじゃうから、気分も乗らないし、練習自体がダメになっちゃうときもあるけど、でもそうやってできた方が、強く、一段階強くなった感じがするから、それはまた達成感と言うのは味わえるかなって思って」

 じゃ、何か課題を抱えると、その課題と一緒に電車に乗って、家に帰ったらその課題と一緒にお風呂入って一緒に寝たりして。で、何かの拍子でブレークスルーがある?

 「そうですね」

 今まで抱えたことのある問題を教えてもらえますか。

 「小さい頃は、何も考えずにジャンプ跳んで、できたっていう、勢いっていうのがあったけど、やっぱり去年とかが一番きつかったかな、って思って。やっぱり年頃になって周りの目とかも気にしちゃうし、集中してるつもりでも集中しきれてなかったりとか。一番大きかったのは、ジャンプが跳べないですごい苦しんで。跳べてたジャンプまで跳べなくなっちゃうっていうのがあって、それが本当になんでだろうって、自分で何回も考えても答えが見つからなかったりっていうのが、今までで一番大きかったかなと」

 それはどういう感じで突破したの?

 「本当に、それでずっと辞めたい辞めたい辞めたいってずっと言ってたんですけど、ちょっとショーとかの楽しいことを思い出したりして、よしって気持ちを切り替えてやって、先生にも丁寧に教えてもらって、一から、基礎からやるっていうのをやっぱり徹底して、それでアメリカに行ったんですけど、アメリカで苦手なジャンプの練習を特訓で2週間丸々その練習しに行って、それで習得できたので、それが本当に大きかったです」

 

 もうすぐジュニアの年代は卒業になってくるわけですよね。今はどんなこと考えてますか?

 「やっぱり、今のジュニアはすごくレベルが高くて。世界もすごく高いし、日本も高いから。まず日本の中で勝ってくっていうのが大事。日本でトップにいければ、世界でも通用する実力であるので。そういうところで、今度全日本ジュニアが11月にあるので、それで表彰台に乗ることは今、目標はそこにしています。で、それまでにあと二つ試合があるので、それで調整して、ちゃんとノーミスの演技っていうのを両方の試合でできたらな、って思って今は練習をしています」

 東日本大震災のときに羽生結弦さんが、被災した仙台を離れてこのリンクに来ていて、交流があったっていう話を聞いたんですけど。

 「普段はやさしいんですけど、氷に上がったら、キリって目つきが変わって、ジャンプとかに入るときは、すごい…やっぱりジャンプすごくきれいじゃないですか、で、軸っていうのがまっすぐできていて、先生もいつもそれをおっしゃっているので、羽生くんも基礎は先生が教えていたので、そういうのに近いものができたらなと思って、勉強になって。トレーニングも一緒にやったときに教えてくれて。「腰締めた方がいいよ」とかいろいろ教えてくれたので、それは今でもノートに書いてあって、大切に持ってます」

 

 このリンク(横浜銀行アイスアリーナ)はどんな場所? 自分のホームって感じ?

 「それはもう本当に。家よりも長い時間いる場所なので」

 じゃあ、ここが建て替わったときは、なんか家が建て替わっちゃった感じですか?

 「なんか全然ガラッときれいになって。あぁ、家が新しくなった…みたいな(笑)。またここから一から始めるんだなって思って、再スタートの気持ちになりました。立て替えてるときはいっぺん更地になって、あぁって思って。電車からちょっと見えるんですけど、通るときに、毎回ちょくちょく確認して、どれくらいできてるかなとか、みんなで写真撮って送り合ったりとか、そういう感じで気にかけていたので、こんな立派できれいになって、また新しい環境っていうのができたからそれはよかったなって」

 

 オリンピックってイメージしてますか?

 「次は2018年の平昌(ピョンチャン)ですけど、その次の2022年の北京が、今は目標かなと思っています。平昌は、年齢的には行けるんですけど、今の現状では厳しいかなと思うので、だからその次の北京までに完璧にして、次の北京が目標です」

 自分の選手としての良さはどんなところでしょう?

 「ジャンプの大きさ。それと、きれいなバレエ的な表現は得意なので、そこは。ジャズはまだあんまり得意じゃないんですけど、クラシックの曲は小さい頃からずっと使っていたので、そういうのは、そういう表現はすごい好きで、やっぱり自分に合っているかなって思ってます。でもやっぱりこれからはいろんな曲に挑戦していかないといけないので、ジャズだったり明るいポップな曲でも挑戦していきたいと思ってます」

 

 僕は青木選手の言葉に感動していた。色んな競技の取材をしているけど、こんなに自分を(課題克服の苦しみもふくめて)客観的に語れる人は少ないと思う。彼女がオリンピックの大舞台に立ったら「横浜銀行アイスアリーナ」挙げての大騒ぎだろう。そこにいる大人たち、スケートを通じて彼女が自己形成していった日々を知る人たちは飛び上がるくらい嬉しいだろう。ホームリンクの「家族」たちに見守られて、宝石のようなアスリートが育っている。グッドラックを祈りたい。

 

20161018_青木祐奈選手 (17) 20161018_青木祐奈選手 (65)

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えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。

 
 
                           
 
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