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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.68「コクドの栄光」

 

 以前、カナダ旅行に出かけた折、NHLの人気チーム、トロント・メイプルリーフスの試合のついでにホッケー殿堂(ホッケー・ホール・オブ・フェーム)を訪ねたことがある。これはアメリカでいえばクーパーズタウンのアメリカ野球殿堂博物館(ナショナル・ベースボール・ホール・オブ・フェーム・アンド・ミュージアム)に匹敵する権威あるスポーツ博物館だ。スタンレーカップのオリジナルや、歴代スター選手の写真、ユニホームジャージに感激していたら、「世界のホッケーシーン」みたいな展示コーナーがあって、そこで見覚えのあるジャージに出くわした。黄色と紺のチームカラー。胸にウサギのペットマーク。コクドアイスホッケー部だ。

 

 当コラムに目を通されるスポーツファンなら、かつてコクドという強豪アイスホッケーチームが存在したことをご存知だろう。が、その本拠地をどこと考えるべきかは難しい問題なのだ。1972年、福徳相互銀行廃部という日本リーグの危機に際し、西武鉄道から分割・独立する形で誕生したのが国土計画アイスホッケー部(のちにコクド)だ。創部の時点では軽井沢がホームだった。その後、84年から品川、91年からは新横浜を本拠地とし、日本リーグ優勝13回、全日本選手権優勝9回の名門チームに成長する。2003年、西武鉄道と再び合併して、05-06シーズンを最後にコクドの名称が消えることになる(チーム自体は08-09シーズンまで「SEIBUプリンスラビッツ」として存続)。その再合併期は東伏見がホームだった。

 

 いつを基準と考えるかで見え方が異なるのだ。古手のホッケーファンに言わせると品川時代が華やかだったそうだ。朝毎読の一般紙スポーツ面に日本リーグの記事が載り、NHKが生中継を組んだ。が、おそらく最大公約数的なファンの見解は新横浜じゃないだろうか。僕もコクドは横浜のチームだと思う。常勝の名をほしいままにした黄金期、コクドは横浜に本拠を据えていた。僕は日本一のアイスホッケーチームがこの街にあったことを記しておきたい。

 

 コクドの話が聞きたくて岩崎伸一さんにアポを取った。岩崎さんは新横浜の申し子だ。移転の91年に入社、何と1年目から正ゴーリーに抜擢され、タイトル獲得に貢献。以来、日本リーグ3連覇、全日本選手権3連覇等の偉業を成し遂げる。また10年にわたり日本代表としても活躍、長野オリンピックにも出場している。

 

 取材現場にやって来た岩崎さんを見て、嬉しくなった。ぜんぜん変わらない。ゴーリーらしいポーカーフェイスでポンポン面白いことを言う感じ。僕は敵方の日光アイスバックスのファンであり、それが嵩じて後にチームの取締役まで務めたような男だけど、岩崎さんのプレーが大好きで、実はコクドのファン感に出かけてサインをいただいたりしている。この人のゴールが割れなかったんだ。とてつもない運動神経&俊敏性だった!

 

 「中学ではデイフェンスだったんです。高校(苫小牧東高)に入ってキーパーがいないっていうんでそれでやったんです。技術的には我流でした。子どもの頃、同級生のお兄さんがキーパーで、その人に教えてもらったのが少し。あとは年1回、王子製紙のアイスホッケー教室があったときくらいですね。苫小牧ですからね、王子製紙は憧れのチームでしたし、入りたいなぁと思ってましたね」

 

 実は高校卒業のタイミングで、その王子製紙に入るか大学へ進学するかで悩んだそうだ。もしそのまま北海道に残っていたらまったく違うホッケー人生だった気がする。岩崎さんは明治大学でホッケーを続け、ユニバ代表に選ばれる。そして、そのまま国土計画入社だから、もう北海道より関東暮らしのほうが長いのだ。

 

 「コクドはやっぱり事実上のナショナルチームだし、強かったですね。誰もがトップレベルですし、試合にはなかなか出られないんだろうなと思ってました。僕が入った時期はチームのバランスがいちばん良かったと思います。1年目に出れたときはたまたま調子が良くて‥、そういうのって運ですね」

 

 「会社は原宿の本社勤務です。終わってから東横線に乗って新横浜のリンクまで通ってました。けっこう遠いんですよ。西武は(東京郊外の)東伏見でノビノビやってんなぁと思ってました(笑)」

 

 

 実はライバルとしていちばん意識してたのは北海道の強豪・王子製紙ではなく、兄弟チームの西武鉄道だったそうだ。創部の順序こそ逆だが、芸風をいうと「コクド=長男坊のエリート」「西武=ヤンチャな弟」という感じだった。

 

 「水と油ですよ。絶対に負けたくなかった。いちばん燃えましたね。だから、再び合併することになって大変でした。それぞれ個性が強くて、うまく行くわけがありませんよ。だから、『SEIBUプリンスラビッツ』ってチームはもう別物なんです。コクドは大人のチームだったと思います。本当のコクドっぽさが残ってたのは鈴木貴人(元日本代表主将、現東洋大監督)までかなぁ」

 

 僕はかつて横浜に最高のアイスホッケーチームがあったことを覚えていてもらいたい。数知れないファンがそのプレーに息をのんだことを知ってもらいたい。岩崎さんは今も横浜市に住んで、スケートに関わる業務を担当されている。コクドアイスホッケー部よ、ホッケーマンの栄光よ、永遠なれ。

 

 

岩崎 伸一(いわさき しんいち)
 苫小牧東高校→明治大学。1991年に国土計画(後にコクド)入社。
 1992年日本リーグ最優秀選手。
 日本代表としても長野オリンピックに出場。
 2003年現役引退し、コクドのコーチに。
 2005年~2007年コクド(後にSEIBU)監督。
 アジアリーグ2005-2006シーズンに就任1年目で最優秀監督賞を受賞。
 現在は神奈川県アイスホッケー連盟理事として、競技の普及啓発に取り組んでいる。

 

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。

 
 
                           
 
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