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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.67「全部受け止めて」

 

 日産スタジアム(横浜国際総合競技場)の一角に横浜市スポーツ医科学センターという、知る人ぞ知る施設が併設されている。で、「知る人」はたぶんスポーツ関係者だと思う。様々な競技の指導者や選手たちである。賢明な読者は名称で大体の見当をつけておられるだろう。スポーツの医科学のセンター。最近は大病院でもスポーツ外来を多く見かけるようになったが、ここは治療ではなくリハビリを専門とする施設なのだ。

 

 今回、取材をお願いしたのはこの施設で働く理学療法士さんだ。加藤瑛美さん。普段はここで肩を痛めた野球少年だとか、ヒザのじん帯を痛めたバスケ部員の回復を手助けしている。おそらく(話していただける範囲で)その取材をしてもスポーツ現場のリアルが立ち上がって来る面白い内容になるだろう。が、今回の趣旨はそうではないのだ。加藤さんにはもうひとつ別の顔がある。

 

 それは「ゴールボール女子日本代表・専属トレーナー」という顔だ。読者はゴールボールという競技をご存知だろうか。もしかするとNHKーBSでやってる「東京オリパラ団」やなんかでご覧になっているかもしれない。僕自身は当コラムで欠端瑛子選手を取材するまでぜんぜん知らなかった。パラ競技だ。視覚障がいを持つアスリートが3人一組のチームを作り、ボールを投げ合う。

 

 いや、正確には「ボールを防ぎ合う」のかもしれない。状況としてはGKが3人並んだサッカーのPK戦だ。但し、ゴール幅がコートの横幅いっぱいに取ってあるから、3人でも守るのは容易じゃない。ボールには鈴が入っていて、選手はその音とコーチングの声をだけを頼りにプレーする。非常にスリリングだ。案外、選手の守備範囲の重なる場所がエアポケットになったりする。

 

 2012年、ロンドンパラリンピックで、ゴールボール日本女子代表は初めて金メダルの栄冠を勝ち取ったのだった。快挙だった。加藤さんはその快挙の記憶の残る2015年、「連覇」を目標としたチームに加わった。

 

 「ゴールボール協会から話をいただいて2015年の8月に初めて代表合宿の練習を見ました。翌月の合宿からはトレーナーとして参加して、11月にはパラリンピック最終予選があり、急きょ行くことになって。『スケジュールも選手のことも全部任せるから頼んだよ』って。最初は本当にわからなくって、選手に『スタッフですか?』って聞いたぐらいでした」

 

 思いも寄らない展開だ。責任重大だ。が、何もわからないのだから体当たりで行くしかない。加藤さんの奮戦が始まった。

 

 「見えていない選手、少し見えている選手、選手それぞれがどのくらい見えているのかを聞いて理解して、ひとりひとり、ひとつひとつ、確認しながらでした。こう見えてるんだったら、トレーニングは目の前で動けばわかるなとか、身体の動きも大きな動きをすればわかるなとか」

 

 担当業務は本当に「すべて」だった。大会に行けば何時に起床、何時にご飯…、チームとしてのスケジュールを立てて選手におろしたり、逆に選手からの意見をもらって、もう一度そこを立て直したり。もう、いわゆるトレーナーの業務かどうかよくわからなかった。とにかく全力で、身体を張ってやろう。

 

 「なかでもいちばんこだわったのはコンディションですね。海外遠征ではビュッフェスタイルで食事をする場面があるので、見えていない選手たちにどういうものが用意されていて、栄養としてはこれはこうだよと会話するようにしました。一緒にいて気づくことを大切にしようと」

 

 加藤さんの頑張りはチームに受け入れられる。リオパラリンピックではヘッドコーチから「ベンチにトレーナーを入れたい」と言ってもらった。一緒に戦う仲間だと認めてもらえたのだ。

 

 「ボールがどこに行ったということはベンチから選手に伝えるんですね。限られた時間のなかで『ボールがセンターに行ったよ』とは言えないので『センター、おなか!』って短く伝えるんです。『センター、手先はじいてる!』『センター、足!』って。ボールと手足のギリギリの状況を選手たちが頭で描けるように伝える工夫をしようと考えて。試合の後、選手から『上手だね』って言ってもらえたんです。『すごい。瑛美さんの声は通る』って」

 

 これは小さな所帯の良さだろう。潤沢に予算がついてマンパワーが足りていたら、トレーナーは専門分野をサポートするだけだと思う。ベンチ入りしてチームの戦術的な部分にタッチするなんてなかなかないことだ。加藤さんはやりがいを感じた。

 

 ただそのリオでゴールボール女子日本代表はメダルを逃したのだ。言葉で言い表せない悔しさがあった。加藤さんはそのすべてをチームの一員として受け止めた。だからこそ東京2020への思いがある。

 

 「やっぱり日本で開催するからこそ色んな人に見ていただきたいですし、一番いいメダルを獲りたいと思います。ロンドンで金メダルを獲ったときのメンバーが『あの場所で君が代を聞いた』『すごく熱くなった』っていう話を今のチームにしてくれるんです。日本でやるからこそ色んなパワーもあるし、いい環境もあるし、注目されるプレッシャーも逆にあるかもしれませんが、そういうすべてを力に変えて。私たちも君が代を聞きたいと思っています」

 

 

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

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