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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.47「YC&ACの日曜日」

 

 

 

 今年は正月明けから、横浜市体育協会の連載担当Yさんに「4月にYC&ACジャパンセブンズという大会があるのでぜひ見に行かせて下さい」とお願いしていた。セブンズ(7人制ラグビー)だ。その最も歴史ある大会が実は横浜で開催されている。数えること第57回だ。開催場所が中区矢口台の「横浜YC&ACグラウンド」というのも大変魅かれた。一度行ってみたかったのだ。幕末、横浜居留地の外国人が創設したという日本最古のスポーツクラブ。その名も「横浜カントリー&アスレチッククラブ」。

 

 根岸線の山手駅から坂道を上る。上りきった通りに「YC&AC通り」の標識と望洋自治会の立て看板があった。その案内に従って歩くと、住宅地の先にいきなりクラブ正門だ。これはかなり広大だ。門を入ると正面がクラブハウス、体育館。右手にプールがあって先へ進むとバー、その向こうがトレーニングジム。で、人工芝のグラウンドがあって、テニスコートやローンボウル場がある。全体で1万坪の敷地だそうだ。

 

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 YC&ACの創設は1868年(明治元年)とされる。スコットランド人の貿易商、ジェームズ・ベンダー・モリソンが中心となり、会員制のクリケットチーム(YCC/横浜クリケットクラブ)が組織された。明治初期、神戸のKR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)とのインターポートマッチが始まり、様々な競技で対抗戦が開催されている。で、わが国のスポーツ史をひもとくと、嚆矢(こうし)となるのは大体、この2つのクラブがらみなのだ。また「初の国際試合」というのが「YCC/YC&AC」との対抗戦であることが多い。初の国際野球は1896年、YCC対旧制一高、初の国際ラグビーは1901年、YCC対慶応義塾、初の国際サッカーはYCC対東京高等師範という具合だ。

 

 去年10月、面白い記事が出た。これまで日本で最初にラグビーがプレーされたのは「1899年、慶應義塾大学で」とされてきたが、新事実が浮上したというのだ(「日本のラグビー発祥、慶大じゃない? 横浜の英国人が新説」朝日新聞デジタル、10月20日)。資料を発掘したのはYC&ACの理事、アレックス・ヘンディーさん。横浜開港資料館などで当時の新聞、雑誌を当たっていて、「1866年(慶応2年)、YC&ACのもうひとつのルーツ、横浜フットボールクラブで」だったことを突き止めた。

 

 「66年に『横浜フットボールクラブ』が設立され、73年には『ボールをつかんだ選手が相手を走り抜き…』などと、関内でラグビーの試合があったことを伝える雑誌が見つかったほか、過去の新聞には、さらに歴史をさかのぼる63年にも『日本でラグビーをやっていた。クリケットとフットボール選手を兼ねていた』との記述があったという」(同記事、村上友里記者)

 

 従来の慶応義塾説は「日本人がプレーした最初」であり、本邦初のラグビー試合ではない。そして、1866年を嚆矢とするなら今年は「日本ラグビー150周年」のアニバーサリーだ。YC&ACは4月2日、記念ディナーパーティーを主催、何と元日本代表、エディー・ジョーンズ監督(現・イングランド代表ヘッドコーチ)が飛び入りゲストとしてスピーチをした。

 

 だから、そんないきさつを思えば「最も歴史のある第57回YC&ACジャパンセブンズ」は新しい大会であるとも言える。1959年に第1回大会が開かれ、2010年まではYC&ACの主催だった。東日本大震災で中止になった2011年をはさんで、翌12年からは日本ラグビー協会が主催している。以前は日本リーグ、あるいはトップリーグのチームが参戦していたが、現在は大学チーム、クラブチームがメインだ。人工芝グラウンドを各チームのテントが囲み、お祭りみたいな雰囲気だ。セブンズは沢山チームが出て、沢山試合をするところがいい。

 

 「YC&ACはこのセブンズ大会を誇りにしています。本来は会員制のクラブですが、この大会が行われる日はどなたでもいらっしゃれるよう、広く門戸を開放しています。グラウンドには桜も咲いて花見もできますね。とても楽しい大会です。クラブハウスには選手らの交流の場を設けています。レセプションが大事なのです。それは(試合の前後半を意味する「ファーストハーフ」、「セカンドハーフ」に対して)サードハーフです。サードハーフで楽しむことがいちばん大事。YC&ACはクラブスポーツの文化を日本に伝える役割を果たしてきました。それはサードハーフを楽しむことなのです」(YC&ACラグビーセクション会長、サイモン・ライアンさん)

 

 サイモンさんが招待者パスを出してくれて、僕らはクラブハウスの食堂でランチをごちそうになった。窓の外のグラウンドではセブンズの熱戦が続いている。歓声や拍手は聞こえる。僕はあぁ、こういうことなんだなぁと深く納得していた。この雰囲気は、例えば香港競馬の取材で「ロイヤル香港ジョッキークラブ」を訪ねたとき感じたものに似ている。言ってみればコロニアルなのだ。英国由来のスポーツは当たり前のことだが、コロニアルな背景を持つ。クラブスポーツは本来、そういうカルチャーなのだ。煎じ詰めれば「社交」なのだ。

 

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 ランチの後、グラウンドの熱戦を見た。YC&ACチームはサイモン監督(!)の激励むなしく負けてしまった。このチームは日本で働く外国人で組織されるが、節目の第50回大会のときはニュージーランドからバリバリの現役を連れてきたりして、ぶっちぎりで優勝したらしい。いくらでも補強可能(?)なのだ。次は60回大会が怪しいと噂されている。クラブ勢はサムライセブンもタマリバクラブも負けてしまった。

 

 ちょっと興奮したのはそのサムライセブン・吉田義人代表、神奈川タマリバクラブ・富野永和代表、井戸聞多コーチが、神奈川県セブンズリーグ発足を目指して、まず定期戦からスタートさせようと顔合わせしてる場に同席させてもらったことだ。YC&ACのクラブハウスで行われたミーティングが次の歴史を作るかもしれないよ。セブンズはもはや15人制ラグビーの余技として行われるようなものではない。独自の選手育成や指導が実施され、戦略戦術が磨かれて然るべきだ。

 

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 大会はいよいよ佳境を迎えていた。これがセブンズの光景なんだなと思ったのは準々決勝、準決勝、決勝と進むにつれてグラウンドがどんどん寂しくなることだ。負けたチームはテントをたたみ、荷物をまとめ撤収してしまう。あんなにぎやかだったグラウンドにわずかなチームしか残らない。下馬評では流経大連覇の呼び声が高かったが、東海大が見事初優勝を飾った。そして夕方になって僕らは矢口台を下った。素晴らしく充実した日曜日だった。

 

 

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えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

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