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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.43「横浜はツイている」

 

 

 新国立競技場の建設計画見直しによって、思わぬ形で横浜市にまたひとつ国際的な栄誉が加わることになった。「2019年ラグビーワールドカップ決勝戦・開催地」だ。ご存知の通り、既に横浜市は2002年、サッカーの日韓ワールドカップ決勝の舞台を務めている。それだけでも一生に一度あるかないかなのに、更にラグビーワールドカップ決勝の地として世界じゅうに街の名が配信される。横浜はツイている。

 

 しかも、2015年イングランド大会のエディーJAPAN大躍進によって、ラグビーブームが巻き起こった。「五郎丸ポーズ」は(言葉としては流行してない気がするが)2015年の流行語大賞である。横浜はツイている。翌2020年の東京オリンピック開催決定で、少し影が薄くなったかに思われたラグビーワールドカップが俄然、注目の的だ。

 

 もちろん当コラムは横浜サイドに立っているから、この慶事を横浜のラグビー人に大いに語ってもらいたいのだが、いざ人選する段になってハタと困った。トップリーグのクラブが横浜にない。関東学院大はかつては日本を代表する強豪校だったが、不祥事の後、低迷している。エディーJAPANの堀江翔太は「崎陽軒のシウマイ」が大好物(『Number』891号)らしいが、それだけじゃちょっと弱い。

 

 そうしたら夢のような名前が浮上した。吉田義人。僕の世代は「雪の早明戦」をはじめ、数々の名シーンを即座に思い浮かべることができる。日本代表は今大会の南ア戦でワールドカップ24年ぶりの勝利を飾ったのだが、1991年大会、ジンバブエ戦勝利の立役者となったのが吉田義人だ。日本代表として二度、ワールドカップに出場。その後も世界選抜に選出されオールブラックスと対戦したり、フランスのUSコロミエに移籍してプロとしてプレーする等、先駆的な存在であり続けた。これ以上の適任者はいない。

 

20151217吉田義人氏 (16)
吉田義人(よしだよしひと)氏

 

 

 それにしても吉田さんが横浜市在住だなんて想像外だった。まぁ、ラグビー界のレジェンド・吉田義人がどこに住んでおられるか、そもそも考えが及ばないところがある。故郷の秋田ではないのはわかるけれど、そうでなければ(明治の練習場のある)八幡山が浮かんでしまう。

 

 「本当に住みやすい街です。子どもを育てることを考えて緑の多い青葉区を選びました。もう6年になります。息子もたくさん友達ができて、充実してます。家族にとって最高のエリアに住んだなって思ってますね」

 

 その横浜がワールドカップ決勝の舞台になる。

 

 「盛り立てていかなきゃいけないです。これはやる人間がいないと動きが起こらないので。平穏なきれいな水面がすーっと澄んでいる池はきれいですよね。そこに誰かが一石を投じなければ波紋は広がっていかないんで。そういう役をしていかなきゃいけない、自分はそう思っているんですよね」

 

 吉田さんは2015年イングランド大会をどうご覧になりましたか。

 

 「イングランド大会においては、とにかく日本のラグビーが世界を震撼させたと。それがすべてですよ。衝撃が走ったと。そこに尽きると思いますね。もちろんこれは選手たちの奮闘があったからですよ。ただその一試合だけの奮闘ではないですよ。4年間ずっと努力してきたその結実ですよ、あの一戦というのは。だから本当に大きな大きなターニングポイントになったと思います。自分のまわりのこれまでラグビーを見ていなかった人も、『ラグビー、すごい迫力がある』『面白い』『感動した』、と熱い反応でしたね」

 

 波紋という意味では、これだけ大きな波が起きたタイミングもないと思います。この波を生かすためにどんなことを考えておられますか。

 

 「それは子どもたちです。子どもたちにラグビーボールを触ってもらう。体験してもらう。そのために親御さんなんです。親御さんにラグビーの魅力をどれだけ今、伝えられるかですよ。で、元々横浜はラグビースクールがたくさんあります。ただサッカースクールと比較すると非常に少ない。そのためラグビーをやらせている親御さんたちは少ないんです」

 

 横浜にトップクラブが欲しいですね。シンボルになる。そういうチームが何でないのかわからないですもん。三ツ沢であんなに各カテゴリーの試合やってるのに。ましてワールドカップ決勝の地です。

 

 「そうですね、今、まさに意欲的に活動しているところでもあります。僕は学校体育、部活、体育会、そして実業団という日本独特のスポーツ環境を歩んできました。僕は伊勢丹の社員だったときに筑波大学で修士号を取得しました。そのときにヨーロッパの総合型地域スポーツクラブというものを学んで、その環境に感銘を受けました。後にフランスに行ったのもプロの世界を経験してやろうということに加えて、もうひとつ、フランスで総合型スポーツクラブでの実情を肌身で感じ学ぶことができるというのもありました」

 

 学校体育や部活とは別に、子どもがスポーツに親しむ環境ですね。クラブにトップチームがあって、子どもたちが憧れて集まるような感じが望ましい。

 

 「そうですね、小学生からそういうことをやらせてあげることのできる環境ですね。で、ちょうど中学生くらいの時期になると自覚しはじめるころになります。その子の能力っていうのがだいぶ明確になってくるんです。そのときに何のスポーツを選ぶのか、そのときにコーチなり監督がアドバイスしてあげるべきです。このスポーツをやってたほうが将来輝けるんじゃないかと」

 

 ラグビーに向いてるのはどんな子ですか。

 

 「今の子は喧嘩をしないですからね。やっぱり喧嘩が強い子がいいんですよ」

 

 気持ちの強さってことですね。そりゃそうですよね。

 

 「それが絶対的な条件。どれだけラグビーのハンドリングスキル、キックが上手、足が速いといってもいちばん大事なのは負けん気なんですよ。立ち向かっていく勇気があるかっていうことですね」

 

 でも、そこのところで「ラグビーは危ないからダメ」って反応が親御さんから出そうですね。その難しいところをどう説得していきますか。

 

 「そこに7人制があるんですよ。コンタクトはもちろんあるけど、少ないんですよ。で、7人制のラグビーはスペースがある分、当たりに行かないんですよ。抜きに行くんですよ。だからケガが少ないんですよ。やっぱりスポーツは安全じゃないと繁栄していかない。子どもたちは特にそうなんです」
 「7人制のラグビーは最終的にオリンピアンになる。15人制のラグビーはワールドカップのメンバーになる。まずその最終到達点の違いですよね。僕は子どもたちにまずボールに触れてもらうことが大事だと考えています。まずそういう経験をして、中学生くらいから身体つきが変わってきたときにコンタクトに自信がつき積極的にしていきたい子が15人制に進めばいいんですよ。だから7人制っていう絶対的に子どもたちにアプローチできる材料が必要だったんです。15人制、7人制のどちらか自分に合う種目を選ぶことで最終的にラグビー界の発展につながってほしいんです」

 

 

 吉田さんは7人制ラグビーチーム「サムライセブン」に注力されている。五輪正式競技になったセブンズラグビーは「アジリティーとスピード勝負、これは日本人に向いている」というのが持論だ。そもそも19歳で初めて日本代表に選出されたのが香港セブンズで、何と吉田さんは7人制の選手だった。第1回セブンズワールドカップでは日本代表キャプテンとして開催国スコットランドを33対19で破る金星を挙げている。

 

 15人制代表でのジンバブエ戦勝利、7人制代表でのスコットランド戦勝利。吉田さんはあらゆる意味で「エディーJAPANの先駆け」と呼ぶべき存在だ。彼はセブンズで日本ラグビーの更なる大飛躍を狙っている。しかも、育成に細やかなアイデアを抱いている。僕らは吉田義人がお子さんのためだったとはいえ、横浜に縁を持ってくれたことを奇貨としたい。横浜は本当にツイている。

 

20151217吉田義人氏 (67) 20151217吉田義人氏 (83)

 

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

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