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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.14「桐蔭学園の夏」

桐蔭学園を夏春計10回、甲子園へ導いた名将・土屋恵三郎監督が退任されることになった。いや、本稿執筆現在、神奈川大会はベスト8が出揃い、桐蔭学園は「12回目」を目指して奮闘を続けている。高校野球ファンの脳裏に桐蔭学園の存在感は際立っている。濃紺の帽子にアイボリーのつめえりユニホーム、ストッキングに2本ライン。胸の「TOIN」のローマ字には「O」の上に長音記号が入る。僕は学生野球ユニホームの傑作だと思うのだ。すんごいカッコいい。そして強く見える。
今回は桐蔭野球を語っていただく素晴しいゲストをセットした。元西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の名プレーヤー・高木大成さんだ。05年に引退の後、球団職員としてプロモーション業務に携わり、一昨年の冬からはプリンスホテルの高輪・品川マーケティング戦略マネージャーとして4つのホテルを担当されている。


高木大成さん

91年夏、甲子園に登場した「1番キャッチャー、高木君」の衝撃を僕は忘れることができない。素晴しいチームだった。エース・小野正史に、俊足・好打・強肩のスーパー捕手・高木大成(慶大→西武)、3番バッターが1年生の高橋由伸(慶大→巨人)、4番が2年生の副島孔太(法大→ヤクルト)。あのときのチーム、そして「1番キャッチャー、高木君」の超攻撃的起用は土屋監督一代の代表作と評すべきだろう。

「私は八王子市の出身で、八王子リトルリーグで野球をやってたので、正直、桐蔭のイメージがなかったんです。東京の強豪校は知ってましたけど、横浜市青葉区は遠く感じてました。で、そのとき(八王子シニアで)一緒にやってたキャプテンがずーっと、桐蔭に行きたい行きたいって言ってたんですよ。そしたらセンバツでベスト4(88年)まで進んだんですよ。あぁ、この学校なのかって思ったんですよね。あとは親から野球やるのはいいけど、大学までは行けって言われてて、よし、ここって進学校だよねって感じでした」

甲子園に行きたい、大学にも進みたい。結果的に桐蔭学園進学は良い選択だった。高木さんは生まれて初めて寮生活を経験する。桐蔭学園は上下関係には厳しいものの、「いちばん人がやりたがらないトイレ掃除は3年生がする」という土屋監督の指導が徹底していた。寮生活にありがちな付き人制度もなかった。それでも高木さんは「地獄でした〜」と笑う。

「ちょうど子供から大人に変わるときじゃないですか。自分から見ると上級生が完全に大人なんですよ。それと、たまたま私のときは寮の改築のときで、部屋が仮設の教室だったんですね。だだっ広い、教室だったプレハブ部屋に黒板もそのまま残ってて、11人が寝起きするんです。で、そのなかに室長として3年生が2人、残り9人が1年生です。そこで3年間。タンスでベッドを隠すんです。こんなとこに入れられてって感じですよね(笑)」

けれど、桐蔭野球部は僕の想像よりずっと少人数の集団だった。1学年18人、それが×3で60人に欠ける程度。これも土屋監督の方針らしい。少数精鋭を丹念に見ていくということだろうか。たぶん大人数の野球部より指導は細やかになるだろう。才能も発見しやすい。顔を見れば何に悩んでいるかわかる感覚だ。

「1年生のとき、2ケタの背番号ではありましたけどベンチに入れてもらいまして、最初の夏は外野手だったんですよ。1年の秋からメインのキャッチャーをやらしてもらいました。最初は下手クソでしたよ。下手クソなんでワンバウンドの多いピッチャーのときは巧いキャッチャーに代えられてました。やっぱり土屋監督がキャッチャー出身(71年夏、4番キャッチャーとして桐蔭学園・甲子園初出場&初優勝!)だったのが大きかったですね。一から教えていただきました」

土屋監督が高木選手を「自分が出会ったなかでいちばんの捕手」と評した話は有名だ。面白いもので選手も指導者との出会いが運命を左右するけれど、その一方で指導者も選手に出会う。高木さんは例の「1番キャッチャー、高木君」について、土屋監督が性格的なものを見極めた結果ではないかと語る。

「その背景には高橋由伸が1年生で3番を打てたというのがあるわけです。彼が1年生で入ったときに春の準決勝から3番を任されたんですね。もともと僕が3番だったんですけど、土屋監督から『お前、1番行け』って話をもらった。僕も高橋由伸の実力は認めてましたし、積極的に仕掛けていい打順でしょう、チャンスをもらったと思いました」
後にプロ野球でも活躍する高木さんにとって、桐蔭学園とはどんな場所だろう? 野球部そのものだろうか。甲子園体験だろうか。実はそういうことだけじゃなかった。
「生徒数が多くて、色んな人がいるんですよ。授業が能力別のクラス編成で、大学の授業みたいに生徒のほうが教室をまわるんです。皆、頭もいいけど、視野が広い。僕は野球部の設備も申し分なかったけど、色んな友達に出会えたのがよかったですね。今でも毎年集まる桐蔭の仲間がいるんですけど、野球部は僕ひとりなんですよ。こういうつながりは大事にしたいですね」

最後に土屋監督にメッセージをお願いした。勇退される恩師に高木大成さんが向けた言葉はとても心のこもったものだった。
「私のときは土屋監督も若くて、たまに昼休み、ホームラン競争なんかやってホームランをガンガン見せてくれたんですよね。そういう印象がまずあって(笑)、甲子園行くときか何かに男の子が生まれて、すっごい喜んでいらして。土屋さんも監督だけどお父さんなんだなって思ったのを覚えています。我々の代って監督に大変迷惑をかけたんです。2年の秋、新チームになって早々に負けてですね、その後、えらそうに練習方針に関して、我々18人、監督の家に乗り込んで話を聞いてもらうんです。私がキャプテンですから、強いチームと練習試合やらしてくださいとか、本当にえらそうに要望を言うわけですよ。それを土屋さんは腹の中は煮えくり返っていたかもしれないけど、ちゃんと受け止めてくれて、実行してくれたんですよ。今、思うのはその大きさですよね。そんな16歳17歳の人間の言い分を真剣に受け止めてくれて、だから今があるんですよ。本当に感謝しています。ぜひもう一度甲子園へ行って、土屋監督の集大成を見せてもらいたいです」

(編集部注:桐蔭学園高校は7月28日(日)、平塚学園高校との準決勝において健闘及ばず敗退いたしました。)

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

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