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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.13「中華街から始まった」

 横浜という街の魅力のひとつは国際性だ。幕末の横浜開港、外国人居留地の建設という歴史をダイレクトに現在に伝えているのは、横浜中華街の存在だろう。僕のように隣りの川崎市で10代を過ごした男にとって、「山下公園→中華街」は高校生デートの基本だった。気軽に異国情緒を楽しむことができた。デートにつき合ってくれた女子はもしかしたらユーミンの歌った「山手のドルフィン」に行きたかったかもしれないが、僕の心の中では矢沢永吉の『チャイナタウン』が鳴っていた。

 高校時代のデートがどんな内容だったか、あまり記憶にない。が、確実にブルース・リーの話をしていたはずだ。僕が10代を過ごした1970年代というのは、中国が新しい見え方をしていた時代だ。72年の日中国交回復以降、デパートではやたらと中国物産展をやっていた。香港発カンフー映画の大ブレークは若者にヌンチャクや「空手の通信教育」(ホントにあったのだ!)を流行させた。

 その同じ時間軸のなか、日本太極拳友会会長の三代正廣(みしろまさひろ)さんは中華街を本拠に大きなチャレンジを続ける。今でこそ生涯スポーツとして誰もが知る太極拳を学び、広めていく手さぐりの時間だ。お恥ずかしいかぎりだが、そこら辺がチャレンジャーと凡人の差だ、ぜんぜん知らずに街角を通り過ぎていた。


日本太極拳友会会長 三代正廣さん

 いや、まず三代さんの「来浜」のいきさつから聞いていただこうか。これはね、ちょっと格闘技マンガか青春小説みたいな仰天ストーリーなんですよ。三代さんは九州の若き空手家だった。郷里の大分で剛柔流の流れをくむ道場で修業を積むが、更に道を極めるべく、18歳の春、家出同然で鹿児島、少林寺空手道錬心館、保勇(たもついさむ)先生の門を叩く。

 「1969年にその当時、対立していた空手界格流派を初めて大同団結させて、団体参加させる目的で『第1回全国空手道選手権大会』が開催されたんです。群馬の前橋でした。この大会は大荒れで、私は鹿児島県代表・錬心館で出場して、優勝するんですが、対戦相手をタンカに乗せています。このとき、大会を参観されていたのが、武術舘舘長・玉置省吾先生と、横浜華僑総会校友会会長(現・聘珍樓社長)の林康弘さんだったんです」

 後日、錬心館に横浜華僑総会から正式なオファーが届く。三代さんを空手師範として迎えたいというものだった。日本の華僑文化の中で、残念ながら中国武術の灯は絶えていた。その再興が当時、20歳の空手家青年に託されたのだ。三代さんは空手着ひとつで横浜駅に降り立つ。

 太極拳との出会いは70年、台北市だった。第1回中華民国世界青少年国術観摩大会に日本の華僑青年10名を率いて参加したのがきっかけだ。チケット入手が困難なほど人気を博した国際武術大会だったという。この大会で認められた三代さんは何と中華民国空軍の教練(空手師範)を依頼される。台湾生活は3年に及んだ。数ヶ月、台北市に滞在しては横浜へ戻る生活の繰り返しだ。

 それは朝の公園であった。三代さんは朝のトレーニングを日課としていた。白ひげの老師を中心にゆったり優美な身のこなしを見せる集団があった。三代さんは何だろうと思う。今でこそ全国に教室が広まった太極拳だが、70年当時、日本人で知る人はいなかった。

「次の日も、また次の日も見に行きました。そうしたら『日本からですか?』と白ひげの老師が声をかけてくれた。スローモーで優美に見えたのは太極拳でした。私の空手とはまったく違う力学であり、考え方でした」

 それから三代さんも太極拳を勉強する。パイオニアは孤独だ。自力で体系を学ばねばならない。75年に中華街の道場で太極拳の指導をスタートする。「日本太極拳友会」を立ち上げたのはそれから7年の後、82年の出来事だ。つまり、70年代は三代さんにとって(少林寺空手道で成果を挙げる一方)、太極拳においては試行錯誤の日々だった。

 僕はこの試行錯誤の時間こそが宝物だと思うのだ。三代さんも拳友会副会長を務めておられる奥様の三代一美さんも若く、エネルギーに満ちていた。台湾へ飛び、国交を回復した中国本土へ飛び、太極拳という未知の体系を学ぼうとする。その燃焼感がまぶしいのだ。同じ時代をボンクラに過ごした凡人にとって、実にまぶしすぎる。

 現在、日本太極拳友会は上大岡(横浜市南区)に本拠を移している。が、毎週土曜朝には三代さんのお弟子さん、佐藤直子さんの指導で横浜媽祖廟(まそびょう。道教寺院)の太極拳教室が開催されている。三代さんの人生を大きく変える契機をもたらしたのは、間違いなく横浜という街の国際性だ。中華街で続く太極拳教室は、そのことへの感謝のあらわれだと思う。


取材当日に居合わせた、空手道を習う子どもたちと


日本を代表する会に成長した今は、上大岡の丘から新たな伝統を紡ぐ

PHOTO/CAPTION H.SEKI(Yokohama Sports Association)

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。

 
 
                           
 
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