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えのきどいちろうの横浜スポーツウォッチング

vol.4「あざみ野南グラウンド」

 

 

 横浜市青葉区にあざみ野南グラウンドがあった。現在は慶應義塾に売却され、学校の建設予定地になっている。ここがコラムの舞台だ。今回、ピックアップする人物は生山良枝さん(49歳)。同区内に住む一般の主婦だ。2年前まで日本サッカー協会の4級審判の資格を持っていた。「元石川サッカークラブ」に所属し、事務局のボランティアとして合宿の世話やら大会の抽選会やら練習の手伝いやら、忙しく飛び回っていた。実は僕の妹なんですよ。

 

 「横浜市体育協会」のウェブ連載が決まったとき、良枝の話が書きたいなぁと思っていた。だってね、面白いんですよ。息子の航大君が小学生のとき、「元石川サッカークラブ」に入れたんですね。で、5、6年生担当のマネージャーになって、審判資格も取得して、息子が卒業した後も自分だけクラブに残るんだ。実家では話題持ち切りでした。良枝が自分だけサッカー続けている(!)。結局、5年も続けたんだなぁ。42歳で審判資格とって47歳まで。毎朝、2キロのランニングを欠かさず、少年サッカーの笛を吹いた。

 

 あざみ野南グラウンドはその思い出の場所なんですね。良枝の一家(つまり生山家ですね)は、熊本からの転勤家族だった。息子の航大君は熊本でもサッカーをやってたんです。幼稚園から「ブレイズ熊本」というクラブチームに所属し、元Jリーガーの指導を受けていた。航大君が小5のとき、横浜市青葉区へ引越してきて、サッカーは続けさせたいなと思ったらしい。だけど、航大君、あんまりサッカーが巧くない。

 

 有名なのは「あざみ野FC」でしょう。全国少年サッカー選手権に出場したり、その名は熊本にも聞こえていた。だけど、「あざみ野FC」はちょっと航大君にはハードル高いかなぁと思えた。で、ネットで調べて「元石川サッカークラブ」というのを発見する。ここはコーチも親御さんならマネージャーも親御さんっていう手作りのチームだった。母子は見学に行ったあざみ野南グラウンドで、その日のうちに入部を申し込む。
あざみ野南グラウンド

 

 あざみ野南グラウンドはピッチを2面とれる素晴しい環境で、向こう側のピッチでは「あざみ野FC」の子らが50人くらい練習していた。コーチはもちろん専門の指導員。こちら側の「元石川サッカークラブ」は20人くらいだ。コーチは手弁当のお父さん。その後、お互いの招待試合やら何やらで対戦することになるが、やっぱりあっちは巧いなぁと思った。
あざみ野南グラウンド

 

 だけど、母子にとって「元石川サッカークラブ」は良い選択だった。航大君はここでも補欠選手だったが、仲良しの友達ができた。良枝は手作りのチームでサッカーの楽しさに触れる。

 

 「横浜は横浜独自のカテゴリーがあって、1、2年生がSL、3、4年生がLL、5、6年生がLって呼ばれてんの。たぶんSLはスモールリーグ、LLはリトルリーグ、Lはリーグの略だと思うんだけどね。各カテゴリーにマネージャー、副マネージャー、広報がいて、それを統括する総マネージャーがいるのね。私はLのマネージャーをまずやったよ。面白かった。係の割り振り、ジャグのお茶作ったり、お正月の初蹴りのとき、トン汁会やったり。あとあざみ野南グラウンドは借りものだから年に2回、草刈りしなきゃなんだよ」

 

 資格をとって、初めて審判を務めたのは山中湖合宿の練習試合だった。LLの副審。後ろに影武者についてもらって、的確な位置を教えてもらう。副審は位置取りが命だ。何度もハーフコートの上下動を繰り返す。主審デビューはあざみ野南グラウンドだ。練習の最後に試合形式をやった。今度はピッチ内だから影武者がつけられない。「斜めに移動するんだよ」と経験者に何度も言われた。
あざみ野南グラウンド

 

 「主審デビューもLL。ボールがわかりやすくて3、4年生がちょうどいいんだよ。Lの上級生になるとボールより速く走るのが大変になっちゃう。SLの低学年だとダンゴになっちゃって、サッカーの形ができてない。LLは一応、フォーメーションはできてるし、スピードもゆっくりだからいちばん練習になる」

 

 実は主審のほうが副審より走る量が少ないそうだ。慣れてくると副審やるほうがきついなぁと思うようになる。ハーフコートの自分の側にボールが来ない「一方的に押し込んでる試合」が断然ラクだった。こっちにボール出て来ないでねー、と思いながらフラッグを持つ。

 

 主審で凹むのは子供らにクレームをつけられたときだ。「えぇ〜?」くらいでもけっこう傷つく。見学のご父兄がヤジったりする場合もある。やっぱり、Jリーグの試合を見ても審判に同情的になるらしい。家でテレビ中継を見てても「大変なんだよ」「間違っても仕方ないんだよ」と家族に審判の弁護をしている。

 

 息子の航大君が卒業した後、何で事務局のボランティアスタッフとして残ったかというと、すっかり「元石川サッカーチーム」が気に入ったからだ。下級生のお母さんから大会の抽選会に出られないと相談を受け、「じゃ、夜、私が行ってくるよ」と安請け合いする。

 

 「うちは航大君がサッカーが好きっていうより、私が好きだったんだよね。サッカーと子供が好き。もう自分の子はいないんだけど、練習や合宿のお世話したり。サッカーは教えられないんだけど役に立つことはできるでしょ。うちは航大君ができない子だったから、できない子の気持ちとかわかるもんね」

 

 良枝が審判を引退していたのは、今回、話を聞くまで知らなかった。妹は自分から見るといつまでもチビで、49歳になってるなんて思いも寄らない。上から下までアディダスで揃えた審判ウェアは、だから今はタンスで眠っている。小柄でも着れるSサイズの審判ウェアは当時、アディダスしか出してなかったそうだ。「今は女子サッカーがブームになったから違うかもね」と笑っていた。なるほど、女子サッカーは女性審判だから、ロンドン五輪やU-20W杯を見てちょっとうらやましい感じもしたわけか。

 

 あざみ野南グラウンド。
 慶應大学附属校の建設予定地になった後もしばらく貸してもらえた「少年たちの夢」の練習場。そこに巧い子や巧くない子や、でっかい子やちっちゃい子や、積極的な子、奥手な子の駆け回る姿があった。それを支える大人たちの声が響いていた。ぜひ書きとめておきたい。いつか皆、そんな場所のあったことを忘れてしまうだろう。
あざみ野南グラウンド

【写真】あざみ野南グラウンドで練習・練習試合を行う元石川サッカークラブ。
写真提供をいただきました元石川サッカークラブおよび関係者の皆様に、この場をお借りして感謝を申し上げます。

えのきどいちろう プロフィール

コラムニスト

1959年8月13日生まれ
中央大学在学中にコラムニストとしての活動を開始。以来、多くの著書を発表。ラジオ・テレビでも活躍。

Book
「サッカー茶柱観測所」「F党宣言!俺たちの北海道日本ハムファイターズ」ほか

Magazine/Newspaper
「がんばれファイターズ」(北海道新聞)/「新潟レッツゴー!」(新潟日報)ほか

Radio/TV
「くにまるジャパン」(文化放送)/「土曜ワイドラジオTOKYO」(TBSラジオ)ほか

Web
アルビレックス新潟オフィシャルホームページ
「アルビレックス散歩道」

Web
ベースボールチャンネル
「えのきどいちろうのファイターズチャンネル」

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