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    イベントレポート

ライバルのためにも、初めての五輪へ掛ける思い 〜 競泳女子平泳ぎ日本代表の種田恵さんが阿部副市長を表敬訪問

by :スポーツ情報センター記者

 北京五輪の競泳女子平泳ぎ日本代表の種田恵選手(JSS長岡、神奈川大4年生)が4月28日、阿部守一横浜市副市長を表敬訪問しました。種田選手は4月15日〜20日に北京五輪代表選考会を兼ねて行われた日本選手権の女子100メートル、200メートル平泳ぎに出場。両種目で五輪派遣標準記録を突破して優勝しました。

 大会3日目の100メートル決勝ではレースが終わった瞬間、プールの水面に種田選手の喜びの涙が流れました。「100メートルは狙っていなかった、と言えば嘘になりますが、(大会前に)タイムがちゃんと切れていなかったので、どうなるのか一番不安な種目でした。あの涙は、ほっとした気持ちから…だったと思います」。そして最終日に迎えた200メートル決勝。種田選手はこの種目、昨年9月の日本学生選手権で優勝して、2分23秒85の日本新記録を樹立しています。負けられないというプレッシャーの中トップで泳ぎ抜き、北京への2枚目の切符をつかみました。この結果により、400メートルメドレーリレー代表での出場も決定しました。

 横浜市役所を訪れた種田選手は、神奈川大学水泳部の舟橋道成監督と共に阿部副市長と対面しました。種田選手は、「4年間いろいろ大変なこともありましたが、皆さまに支えて頂いて乗り越え、今回のように北京五輪代表に選んで頂いて感謝の気持ちでいっぱいです」と晴れやかな表情で話しました。阿部副市長は、「日頃の積み重ねが表れたのだと思います。監督、コーチ、同僚の皆さまへの思いをぜひしっかり持ち続けて励んで頂けたら、と思います。横浜市としても、地元の神奈川大学から五輪選手が出て大変嬉しいことです。市民一同で応援します」と激励の言葉を送りました。

北京での健闘を誓い、阿部副市長と固く握手

 その後は種田選手と水泳の出会い、そして今日に至るまでの道のりについて話が進みました。種田選手が競技として水泳を始めたのは、小学校4年生の時。「最初は優れている種目が何もなかったのですが、平泳ぎを泳いだら速かったのです。その時コーチに今日から平泳ぎだ、と言われました。その言葉が平泳ぎをやっていくきっかけとなりました。」

 それから水泳と真っすぐに向き合ってきた種田選手。今の種田選手がいるのはある選手の存在があったから、と言います。「同い年で平泳ぎの田村菜々香選手(東海大)です。中学生の頃から同じくらいの位置で頑張ってきた選手なので、私がこのように伸びていくことができたのも、田村選手と切磋琢磨してきたからだと思います」。しかしライバルであり無二の存在と言える田村選手は、日本選手権で派遣標準記録に届かず、無念の代表落ちとなりました。その姿を目の当たりにした種田選手は言葉にならない思いで胸がいっぱいになりました。「みんな日本選手権に向けて、今まで本気で練習に取り組んできました。みんなが真剣に臨んだ大会だったので、何が起こるかわからないと思いました。それでもその中で勝てたことはすごく自信になったし、北京につなげていきたいです」。ライバルのためにも、種田選手は決意を固めました。

 神奈川大学での4年間、種田選手を見つめてきた水泳部の舟橋監督は、「つらい時の方がたくさんあったと思いますが、苦労した分だけ大人になったと思います。北京ではより一層上の順位を、という言葉に出さなくても胸に秘めている思いはひしひしと感じます」と話しました。「こう見えても(笑)水泳部員のことをすごく思っていて、何も言わなくても後輩を焼肉に連れて行ったりしていますね」と、種田選手の思いやり深い素顔を披露しました。スイマーとして、そして一学生として前進を続けている種田選手へ阿部副市長は「何事も平常心が大事」と伝え、北京での活躍に期待を寄せていました。

水泳部に大きな影響を与えた種田選手へ感謝します、と舟橋監督

 昨年の10月に横浜を離れ、新潟県長岡市にあるJSS長岡の竹村吉昭コーチのもとで北京を目指してきた種田選手。人生で初めて迎える五輪まであと3ヶ月です。「自分の持ち味を生かして、今まで以上に後半でもっともっといい泳ぎができるようにしたい。やっぱり私はチャレンジャーなので、北京ではチャレンジするしかない。思いきったレースができればいいな、と思います」。

 世界の壁は決して低くはないけれど、たくさんの人たちの思いを力に変えて、種田選手がどんな泳ぎを見せてくれるのか楽しみに応援しましょう!

初めての五輪、輝く瞳はきっと喜びの涙であふれるでしょう!