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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.79「岩手国体」

 

 

 10月7日(金)から11日(火)において、岩手県北上市で2016希望郷いわて国体の陸上競技が開催されました。
 
 

岩手国体1

 

岩手国体2
 

 

 大会初日の7日には、荏田高校3年の江島雅紀選手が、棒高跳において5m46cmの高校新記録を樹立して優勝しました。この記録はU20の2016年度世界ランキング7位に入る素晴らしい記録です。
 

 先のリオデジャネイロ・オリンピックで澤野大地選手(富士通)が7位入賞を果たしましたが、また世界に通じる選手が出てきました。棒高跳という競技に関してはvol.41「北部九州総体」(2013年8月15日UP)で触れていますが、少し紹介していきたいと思います。

 

 棒高跳は英語でPole Vaultと言います。棒高跳の選手のことはジャンパーではなく、ボウルダーと言います。棒高跳の歴史は古く、紀元前に行われていたアイルランドの東北部で開催されていたティルティンのゲームで、陸上競技のひとつとして開催されていたそうです。少なくとも紀元前1829年には行われたといわれています。
 

 近代陸上競技の元となっている、1864年のオックスフォード対ケンブリッジ対抗戦では棒高跳は採用されませんでしたが、イギリスで開催された1866年アマチュア選手権大会で棒高跳が行われました。この時の記録は3m05cmです。このころの棒は、トネリコやヒッコリーの木の棒で当然曲がることはなく、木登りをするようにバーを越えていたそうです。「木登り法」という名称がついています。
 
 
 そして1920年代、棒は竹製に代わります。竹は木よりも弾力性があり軽量で、記録は4mの時代となりました。中でも日本の竹は質が良いとされ、日本製の棒が世界で使用されていました。この竹製の棒(ポールといいます)で、1932年ロサンゼルスオリンピックで西田修平選手が銀メダルを獲得しました。このころ日本の棒高跳は世界トップレベルでした。
 

 その後、第二次世界大戦が始まり、日本の竹が輸出できなくなります。そこで金属製(スチール)のポールが開発されました。1960年には4m80cmに記録は伸びます。
 

 しかしすぐに、スチール製のポールはより反発の強い素材であるグラスファイバー製に代わります。1961年にはすでにグラスファイバーのポールが使用されています。グラスファイバーはガラス繊維で、それを巻いて棒状にしています。グラスファイバー製のポールによって、1962年には世界記録が4m89cmに更新され、その後急激に記録を更新し、今や6mを超える時代となっています。
 

 ただし、6mを超えるのは容易ではなく、今までにわずか17人しかいません。世界記録は6m16cmで、フランスのラビネリ選手が持っています。しかし、前世界記録保持者のブブカ選手は、6m30cmくらいは超える能力はあったのではないかといわれています。
 

 現在、グラスファイバー製ともうひとつ、カーボン製のポールがあります。こちらも反発の強いポールを作ることができます。ゴルフのシャフトなどはカーボン製が多いですよね。しかし、まだ棒高跳ではグラスファイバー製が主流で、カーボン製は少ない感じです。

 

 以前に棒高跳について書いたことは先ほど述べましたが、より棒高跳を知っていただくために今回、少し説明を加えましょう。

 

 

高跳び図

 

 

 これは以前に掲載した図ですが、少し手を加えました。棒高跳は、ポールを好きな長さ、硬さに選択することができます。
  

 当然長く、硬いポールのほうが高く跳ぶことができます。しかし、長いポールは立たせることが難しく、硬いポールは曲げることが難しくなります。
 

 そしてもうひとつ重要な選択があります。それはアップライトというものす。アップライトは、バーの位置を前後に変えることができるものです。ポールを使って上に上がったとき、ちょうど身体がバーを越えるときにその頂点がバーからズレてしまうと、バーを越えられませんよね。そのバーの位置を選手が自由に前後移動することができるのです。
 

 つまり、上に上がりきったとき身体は上がっているのにバーに当たってしまう場合は、アップライトがあっていない可能性があります。そこでバーの位置を調整して一番身体が上がっているところでバーを越えられるようにします。
 

 ですから、選手は跳ぶ前にアップライトを申請します。走高跳ではアップライトはありません。棒高跳び独自のものです。走高跳は踏切位置が自分で調整できますから必要ないですね。
 

 棒高跳はポールの長さ、硬さ、アップライトなどを微調整して競技に挑みます。また少し棒高跳の観方がわかっていただいたかなと思います。

 

 リオデジャネイロ・オリンピックは日本からは澤野選手をはじめ3名がエントリーされました。日本のレベルは世界的にみても高い種目です。そして江島選手のような若い選手も育ってきています。日本でも6mボウルダーが出てくるかもしれませんね。楽しみです。
 

 そしてまた、グラスファイバーに代わるものすごい反発力のある材質が発明されるかもしれません。なにかこれは!というものがあったら教えてくださいね。

 
 

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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