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あんどうたかおのバスケにどっぷり

vol.149 コービーと新ビーコル

 

 1月26日早朝、TVを見ていた妻が「NBAの選手が亡くなったらしいよ!」と起こしにきた。誰だと思いながら慌ててTVの前に駆け付けると、コービーがへリコプター事故で亡くなったと字幕が流れていた。

 信じられない!

 信じたくない!!
 
 

 バスケ愛好者ではなくてもその名前は聞いたことがあり、由来が日本の「神戸ビーフ」だと知られています。

 高校から直接NBA入り(現在は認められていなく、最低大学生であることが条件)したことで分かるように非常に能力が高い選手。

 記録にも記憶にも残る数少ない選手でした。記録に関しては下に書き出しておきましたが、注釈をつける必要がないほど秀でています。
 
 

 実は当初は好きな選手ではありませんでした(笑)

 鼻っ柱が強く小生意気な若造、と感じていたからです。それをよく表したエピソードがあります。
 
 

 1997年レイカーズ初シーズン、プレーオフ西カンファレンス・セミファイナルス(準決勝)第5戦、ダウン・ザ・ストレッチ(土壇場)同点で迎えたラストプレー。あなただったら誰にシュートさせますか?

 スーパースターで超ビッグサイズのシャキール・オニールや、スーパースターのエディ・ジョーンズ、勝負強さに定評のあったニック・バン・エクセル、更に数々のクラッチ・シュートを決めてきたロバート・オーリーなどが手持ちのコマで、誰にするか迷うほどです。そこにルーキーでスタメンでもないコービーが割って入り「自分がシュートしたい」と直訴して、コーチは了承しました。
 
 

 レイカーズはコービーのアイソレーション(孤立化。片方のサイドでボールを持ち、他の選手は逆サイドへ行かせ1対1の勝負をさせるプレー。NBAのルールではこのケースではWチームには行けない)を選択し、台本通りシュートしましたが、そのボールはリングにかすりもしない、いわゆるエアボールに終わりました(笑)
 
 

 オーバータイムで接戦が続く中でも、コービーは次々とシュートを撃つものの、すべからくエアボール。5分で4本のエアボールを撃ったため、ここでレイカーズのシーズンは終了!
 
 

 この屈辱を晴らすためコービーは、その夏に1日3,000本のシュート練習し、そのおかげでコービーができあがったといわれています。
 
 

 数少ない「1チーム」だけに所属したスーパースターです。

 ご冥福をお祈りいたします。
 
 
KOBE BRYANT <20年間で残した実績>
NBAチャンピオン:5回 (2000, 2001, 2002, 2009, 2010)
NBAシーズンMVP:1回 (2008)
NBAファイナルMVP:2回 (2009, 2010)
NBA得点王:2回 (2006 (35.4), 2007 (31.6))
All NBAチーム(優秀選手):11回 (2002-2004, 2006-2013)
NBAオールディフェンシブチーム守備優秀選手賞):9回(2000, 2003, 2004, 2006-2011)
3×2ndチーム:2001, 2002, 2012
NBAオールスターゲーム出場:18回(1998, 2000-2016)
NBAオールスターゲームMVP:4回(2002, 2007, 2009,2011)
NBAスラムダンクコンテスト優勝 : 1997
オリンピック優勝:2回 (2008,2012)
 
 
 
 
◆ビーコル新コーチに!
 

 さて話はガラリと変わり、良いお知らせです。

 1月5日(日)アウェー渋谷戦②に69‐91と大敗して、11連敗7勝20敗(.259)と大きく負け越していた時点で、トーマス・ウィスマン・ヘッドコーチが一歩退き、アシスタント・コーチだった福田将吾が代理コーチとなりました。

 最初のゲームは、アウェーの新潟戦で64‐70で惜しくも負けましたが、1週間後の22日(水)の川崎戦、神奈川ダービーなど盛り上げていたものの川崎には19度対戦し一度も勝ったことがありません。

 その上、川崎は10日前に行われたオールジャパン(天皇杯。全日本総合選手権大会)では、日本代表チームのキャプテンだった篠山竜青と藤井祐眞の両PGが、欠場していたのにも関わらず優勝したばかりで、更にこの日は藤井がカンバックしており、普通に考えたら勝てる相手ではありません(笑)
 
 

 今まで観客が少ないことで知られている、平日水曜の平塚の夜、ナンと満員の2,700人!!!!

 案の定、立ち上がりこそ良かったものの、3分が過ぎた辺りから15‐2のランを許し、前半を32‐44で折り返しました。

 いつもなら後半立ち上がりが弱く、そこからズルズルと負けるのがビーコルのパターンですが、この日は違いました。立ち上がりからボールマン(ボール保持者)へガード陣が強いプレッシャーを掛け、川崎のオフェンス・リズムを狂わせ、No.2橋本尚明(184㎝、通称ハッシー)が開始から1分半の間に3連続ゴールを決め、39-44と追い上げました。

 その後は競り合ったものの、残り18.9秒に川崎ニック・ファジーカス(日本代表)にFT(フリースロー)を2本とも決められ、81-84と3点差を付けられ、もはや絶体絶命かと思われました。
 
 

 
 

 しかし残3.8秒、No.00ジェームス・サザランド(203㎝通称ジェームス)とNo.46生原秀将(180㎝通称シュウ)でピック・アンド・ロール(スクリーンプレー)を仕掛けると、直前に2本のスリーを決めているジェームスに、マークが2人行ったのを見たシュウは、左ウイングからがスリーを撃ちました。

 ボールは奇麗なアーチを描き、リングのど真ん中を通過、84‐84の同点に追いつきました。

 Big Shot!!

 更に川崎のタイムアウト後のスローインをジェームスがスティールし、パスを受けたハッシーがファールを取りました。川崎は未だチームファールが4個目のためスローインに。

 そこのタイムアウトでは「ジェームスに川崎は、ファジーカスをマッチアップさせるだろうから、そうしたらスピードのミスマッチを活かして、ジェームスがATB(Attack The Basket。リングにドリブルで攻めること)をしろ」と指示、予想通りの展開でジェームスがトップでボールを貰い、左方向へドライブしてファジーカスを置き去りにし、更にジョーダン・ヒースのブロックを交わしレイアップシュート。
 
 

 
 

 ボールがボードに当たると同時にブザー、そしてボールはリングに吸い込まれカウント!!!

 20戦目にして始めて川崎に勝利しました!!

 そして福田コーチにとっての初勝利!!
 
 


 

 次の西地区2位の琉球戦はアウェーとなり、ゲーム①は70‐76と接戦で、更に翌日は後一歩のところまで追い上げたゲームでした。次の富山戦もアウェーで72‐77と惜敗しました。
 

 そして迎えた2月2日(土)、相手は22勝10敗(勝率.688)西地区1位の大阪エヴェッサ。コートはホームアリーナの国際プールです。

 この日から特別指定選手のNo.6赤穂雷太(196㎝94㎏、通称ライタ。青山学院大3年←市立船橋高)がベンチ入り。高校時代から大型PGといわれ、ディフェンスも良くバスケIQが高くスケールの大きい選手です。
 
 


 
 

 バスケ一家として知られ、姉はWJBLデンソー・アイリスの「さくら」、双子の妹は「ひまわり」。二人とも女子日本代表入りしています。

 母は日体大女子部キャプテン、そして父親は神奈川県の相模工大付属高(通称相工大、現湘南工科大学附属高)から日体大―住友金属と、エリートコースを歩んだセンター。漫画スラムダンクの「ゴリ」のモデルといわれており、ライタの出身は千葉となっていますが、神奈川県とは縁がある選手です。
 
 

 ビーコルが良く獲得できたものだ!! 河内GMを褒めておこう!
 
 

 そのデビュー戦となった大阪①、ズーっと競った展開で71‐70で迎えた残り11.6秒、No.10アキ・チェンバース(190㎝通称アキ)がFTをキッチリ2本とも沈め、73‐70とリードを奪うがスリーで同点なため、安全圏ではない。当然大阪はここでCTO(タイムアウト)を獲り誰がどのようにシュートするか作戦を与えます。

 11秒で3点差なので、通常はスリーを狙いますが、策士の大阪・天日コーチなら、逆を狙って確実な2Pできてすぐ当たるか、ファールゲームに持ち込むことも考えられ、第三者から見ると非常に面白い場面です。
 
 

 ここでライタは「スローインは、新人の自分のところを狙ってくるだろ」と予測して、アイラ・ブラウンにはディナイ(ボールを渡さないような接近したディフェンス)するとボールを入れてこないだろうから、わざと半歩下がってパスカットを狙っていた、とゲーム後の記者会見で語っていましたが、スローインが長いパスだったこともあり見事スティール!!
 
 

 
 

 新人離れした鋭い「読み」です。

 そのままドリブルで無人の花道を行き、止めのレイアップで75点目を入れ逃げ切りました。
 
 


 
 

 何故強くなったのでしょう?

 ディフェンスが強くなったのです!!!

 えっ1週間の練習でディフェンスが強くなるの?
と誰もが思うでしょうが、何度かこのコラムで書いたように、元々今シーズンはディフェンスが良い選手の集まりなんです。しかし自分のプレータイム(出場時間)が判らないと、どうしても手を抜かざるを得ないのです。前コーチは好調だといつまでもコートに出させたため、肝心なダウン・ザ・ストレッチ(終盤の大事な場面)でエナジー切れを起こしていました。
 
 

 その点を福田コーチはタイム・シェアすることで、選手はその時間をめいいっぱいディフェンスできるので強いプレッシャーを掛けることができたのです。
 
 

 
 

 上のグラフで見ると分かりますが、その恩恵を受けたのがアキであり、No.21田渡凌(180㎝、通称リョウ)なのです。二人の分をシユウとハッシーに分散し、No.22秋山皓太(188㎝、通称コウタ)とNo.32エドワード・モリス(203㎝、通称エド)の分をNo.16 牧全(188㎝、通称マキ)とライタが引き受けています。

 また3人いる外国籍選手にもローテーションを前もって伝えることで、彼らも集中できるので喜んでいます。
 
 

 その上で選手たちに自分で考えることをさせました。

 3グループに分け、話し合いさせることにしました。その結果考え方は皆同じだったようで、それにより自主性もでき、責任も掛かってきたわけで、これが良い方向へ向かっていったわけです。
 
 

 
 

 上のグラフを見てください。ウィスマン・コーチが指揮を執っていた開幕からの27ゲームと、福田コーチに変わってからの7ゲームのスタッツ(統計)をグラフにしたものです。

 左のブルーのバーがウィスマン・コーチ時代、真ん中のオレンジのバーが福田コーチに変わってからの7ゲームで、右のグレーのバーは34ゲーム消化時点のBリーグ平均値です。

 得点は、リーグ平均には及ばないものの2点近くアップし、失点は3点少なくなり、リーグ平均に近づいています。リバウンドは相変わらず強いですね。そしてTO(ターンノーバー。ミスで相手ボールになること)が減っているのが嬉しいです。

 ただしFTが相変わらず下手ですね(涙)

 その上、試投数も減っているのは良くありません!!
 
*用語注釈
3PM-3点シュート成功数、3PA―3点シュート試投数、3P%―3点シュート成功率、2P、FTも同様。
IPM-ペイント内のシュート成功数、IPA-同試投数、
ORB-オフェンス・リバウンド数、DR-ディフェンス・リバウンド数、TRB-総リバウンド数、
AST-アシスト(成功シュート前のパス)、STL-相手ボールを奪うこと、BLK-シュートを叩きゴールさせないプレー、TO-ターンノーバー、ミスして相手ボールになること、PF-個人の接触ファール。
 
 

 ただ緒戦の新潟戦では、まだ福田コーチの考え方が浸透しきらず、負けてしまったと言っていました。

 そして川崎戦後は負けが込みました。理由は簡単です。

 スケジュールがNBA並みにタフだったのです。

 22日夜vs川崎戦―25日夜琉球①26日夜琉球②―29日夜富山―2月1日昼大阪①と続いたのです。ご覧のように神奈川→沖縄→富山→神奈川を11日で移動しながら5ゲームとなります。沖縄→富山は移動だけで1日掛かってしまいます。その上で身体のメンテナンスを求められるため、休みをしっかりと取らないと怪我に繋がります。そのため、ゲームが無い日は飛行機移動か軽い練習、つまり調整のための練習しかできないため、本当の意味での福田らしいバスケはいまだできていません。これからなのです。

 楽しみに待っていて下さい!!
 
 
 

 福田コーチについて。

 彼は東京理科大4年生時に、私が主催したTryOutJapan07(注釈を参照してください)にコーチとして応募し、友人であり参加してくれたDREAM 7主宰・西田辰巳氏を通じてアシスタント・コーチをしていた日系人ジェフ・ヒロナカ氏に依頼して、シアトルパシフィック大学マネージャー(簡単にはアシスタント・コーチにはなれないので)となり、アメリカでのバスケ研修の第一歩を踏み出しました。

 TryOutJapan07に参加中の福田コーチ

 そこで「プリンストン・オフェンス」と呼ばれる「スペースを上手く使い、弱いチームが強いチームに勝つ」という戦法に興味を抱き、考案者のピート・キャリル氏に直接レクチャーしてもらいました。

 その後NAIA(National Association of Intercollegiate Athletic. 規模の小さい大学で作っているNCAA的全国組織)の強豪ウェストモント大学のアシスタント・コーチを務め、男子日本代表コーチング・スタッフを経て再度アメリカへ渡り、NCAAビッグ・イースト・カンファレンスの名門セント・ジョーンズ大(OBにはドリーム・チーム・メンバーのクリス・マリンが有名)のアシスタント兼ビデオ・コーディネーターとなり、帰国後bj仙台89ersアソシエイト・コーチとなったわけですが、実はこの時ビーコルでも交渉していましたが、仙台に持って行かれた経緯があります(涙)
 
 

 私が彼の事を推薦する理由は
「1シーズンだけチームに帯同」という経歴だけの研修ではなく、シアトル・パシフィック大という全国レベルではない弱小チームと、セント・ジョンズ大という全米に知られた名門チームという両極端のチームを数シーズン経験しているということです。
 
 
*TryOutJapan07-NPO法人リーチユアドリームオブフープ(私が理事長)が掲げる、Reach Your Dream of Hoop(若者よNBAへの夢を掴め)をテーマに、 日本の優秀なバスケットボール選手でNBAを目指し、アメリカでチャレンジしたいと夢を持った若者の夢を叶えさせてあげたい。という趣旨の元にアメリカからコーチを招聘し、日本人相手のトライアウトを日本大バスケットボール部川島監督の協力を得て行ったものです。
現秋田ノーザンハピネッツ前田顕蔵コーチや、富山グラウジーズのTV解説者・井口基史等が通訳ボランティアで、選手として現栃木の栗原と富山の上江田及びB2東京の椎名が参加してました。

 前年のTryOutJapan06には元NBAスター・マイケル・レイ・リチャードソンや、元シカゴ・ブルズ優勝時メンバーのクリフ・リビングストンが、ABAチームの代表でコーチとしてきました。

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

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