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あんどうたかおのバスケにどっぷり

vol.90「ビーコル100勝 そしてシアトル」

ビーコルやりました!横浜ビー・コルセアーズ、球団創立4シーズン目でレギュラーシーズン通算100勝を達成です!
通算90勝で2014-2015シーズンに突入し、当初は強豪相手に1勝1敗のペースで進み、年内には100勝達成できるのではと予想してましたが、93勝で迎えた10月19日の青森戦で#50ウェイン・マーシャルが古傷を痛めてから勝ち星が増えることなく2ヶ月が過ぎ、年内最終戦のライジング福岡戦ゲーム2でやっと94勝目をあげることができ、良いお正月を迎えることができました。

年が明けてしばらくゲームがない間、#22カール・ホールと契約し、さらに#33ジャーフロー・ラーカイ、#50ウェイン・マーシャルが復帰。外国籍選手が4人に増え、フル・ロースターとなり勝ち星が増え、100勝目へのカウントダウンが始まりました。そして96勝した頃から「青森ワッツ戦でスイープ(2連勝)し、横浜文化体育館で埼玉ブロンコスにも連勝して、聖地・文体で100勝を達成するぞ!」と盛り上がっていましたが、現実はそんな甘くなく、青森戦ゲーム2で破れてしまい、これまで開幕戦や有明行きを勝ち取ってきた思い出の文体での100勝目は無くなってしまいました(T_T)

 
#33 ジャーフロー・ラーカイ選手(左) #50 ウェイン・マーシャル選手(右)


#22 カール・ホール選手

連勝を目論んでいた埼玉に1勝しかできず、次の富山グラウジーズ戦ではまさかの連敗。98勝で停滞して100勝目は持ち越されましたが、次の2週がアウェイなのです。これではホームでの100勝目の確率はほぼゼロとなり、ショックは大きかったですね。。。

そして迎えた福島市国体記念体育館での福島ファイヤーボンズ戦、ゲーム1は85-68と大勝しました。
さあ次は100勝目!
とはいえ大勝した翌日は負けることが多いビーコルです。少し心配でしたが、めずらしく良い立ち上がりで第1Qを24-15と大量リードし、そのまま逃げ切り98-80で勝ち、ついに100勝目を勝ち取りました!
昨シーズンから負けることが多いのにも関わらず、遠く福島まで多くのブースターさんが駆けつけたと聞きます。嬉しいことで、感謝の言葉しか思いつきません。

実はこの100勝目を見ることができませんでした。
福島まで行ってないどころか日本におらず、横浜から遠く離れたアメリカ・ワシントン州のシアトルにいました。
何故かというと、日本人高校生に会いに来たからです。実はこの原稿もシアトルで書いてます。

会いに来たのは宮下 美優(ミユ、松山市拓南中卒)、小杉 成(ナル、新潟市寄居中卒)、鍋倉 隆造(リュウゾウ、熊本市清水中卒)の3人で、彼らはバスケットの本場アメリカでバスケ留学をしてます。


左からミユ、リュウゾウ、ナル

バスケットだったらニューヨークやロサンゼルスの方が良いのではと誰もが考えると思いますが、実は日本人がバスケット留学するには最適な都市なのです。気候が仙台に似た感じでやや寒めで過ごしやすく、文化が高く治安が良く安全で、日本人を含むアジア人が多く、全米中で最も住みやすい都市と言われています、安全ボケをしてる日本人が最初に住むのに適していると思います。

バスケット的には、ジェイソン・バスケット氏が主宰するECBA(Emerald City Basketba1lAcademy)があります。ここはシアトルを本拠地に多くの支部を持つバスケットのスクールで、独特の理念を持ち細やかな指導法で、パワーに頼るアメリカのバスケットとは一線を画し、スキルや判断力を求められます。
このジェイソンの指導でNBAで活躍中なのがジェイソン・テリー(ヒューストン・ロケッツ)アイザイア・トーマス(ボストン・セルティックス)スペンサー・ホーズ(ロサンゼルス・クリッパーズ)の3人で、また地元ワシントン・ステート大からはステファン・カリーとともにゴールデンステート・ウォリアーズの二枚看板となったクレイ・トンプソン、ワシントン大からは小さいながら大活躍のネイト・ロビンソン(デンバー・ナゲッツ)、今シーズンはプレーしてませんが名ポイントガードのブランドン・ロイ(元ポートランド・トレイルブレイザーズ)を輩出していて、バスケット選手が育つ土壌があります。
3人が通うケネディー・カトリック・スクールでナルとリュウゾウはまだチームに入れませんが、ミユは州のチャンピオンにもなったことがある強い女子部でスタメンのポイントガードを務めています。チームは州大会出場を惜しくも逃し、今シーズンの活動は終わってしまいました。

3人ともECBAでジェイソンの指導を受けてますが、AAU(Amature Athletic Union)の全米各種大会への出場チーム分けするためのトライアウトを2日間に渡り受けました。
大きな選手に混じってがんばりましたが、ナルは気合いが空回りした感があり、リュウゾウは力を発揮できず、悔いが残ります。
一方ミユは158cmと小柄な身体で、180cm以上もある選手相手に変幻自在のドリブルで翻弄したり、鋭いドライブで抜いて飛ばされながらフックシュートを決めたり、良いパスを通したり、他の選手へ指示を出したり。ディフェンスでは巨体で押し込まれる場面があったものの、積極的にカバーに行ったり、ダブルチーム(1人の選手に対して2人の選手がディフェンスをすること)でボールを奪ったりと大活躍し、存在感を示しました。

投稿 by Takao Ando.

この3人がここに来れたのにも、実は道を開いた人間が存在します、それが小林 大起という横浜市立領家中出身の男です。現在はターキッシュエアラインズbjリーグ、群馬クレインサンダーズの選手ですが、NBAを目指しテキサス州の高校へ留学し、 その後シアトルのケネディー高へ転入しました。

彼がいたからこの3人の受け入れがスムーズにできたわけです。私が小林の留学の手伝いをした時に比べたらスムーズだったとか。また小林自身の苦労体験や失敗体験から学んだことが、今回の留学に活かされています。

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

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