ハマスポ

 
横浜市風景シルエット
 
       
 

ハマスポロゴハマスポ

横浜市風景シルエット
 
注目ワード
 
あんどうたかおのバスケにどっぷり

Vol.12 田臥


ブレックス入団会見

大起に続いて勇太が帰ってきた。
と言ってもスケールが違いますが(笑)

04年11月3日、BS放送でNBAレギュラーシーズン開幕ゲームが中継されました。
前シーズン29勝53敗と大きく負け越しているフェニックス・サンズが、28勝54敗と同じく大きく負け越したアトランタ・ホークスをホームに迎えての一戦です。
このゲームは多くの日本のバスケット愛好家に見られていた筈ですが、誰が何点入れたかと言うことは気にしてなかったと思います。ただ点差がもっともっと開くようにと祈っていた筈です。
そしてラストQ(クォーター)に待ちに待っていた場面がやってきました。2m選手がゴロゴロしているコートへ入ってきたのは白にオレンジの入ったユニフォームを着た173cmと小柄な黒髪の選手、Yuta Tabuseでした。

思わず涙が溢れてきました。日本人がNBAのコートに立っている!
背の低い日本人には考えられないことで、夢のまた夢と思っていたからです。

田臥勇太は横浜市金沢区出身で戸塚区の矢部小でミニバスを教わり、金沢区の大道中で全国3位の成績を収め全国的に知られるようになって、名門秋田県立能代工高へ進みました。
能代工では3年連続3冠王を達成する偉業を成し遂げ、ハワイにあるブリガムヤング大ハワイ校へとバスケット留学に出ました。

3年で中退した後、一時日本へ帰国してトヨタ・アルバルクでプレーしましたが、今度は本土へ渡り本格的にNBA挑戦を始めたんです。
2003年にはデンバー・ナゲッツと契約は結べたのですが、開幕ロースター(ベンチメンバー登録)には残れませんでした。(チームは20数人と契約を結びますが、開幕が近づくにつれ、一人また一人とカットして15人に絞ります。)

そして04年、リーグ26位そしてウエスタン・カンファランスでも下から2位だったサンズと契約できました。この時はやったーと思いましたね。弱いチームなら出番が有るだろうと思ったからです。
NBAはベンチへ10人以上入れますが、実際にプレー出来るのは精々10人程度です。しかし点差がついたら普段出られない選手も使ってもらえます。
また弱いチームなら、実力が劣っていても商業ベース(日本人と言う希少価値)で考えて数人ならベンチに入れるチャンスはあるだろう、と考えていたからです。
ところが、大変なことが起こってしまったのです。田臥と契約した後に、サンズはスティーブ・ナッシュと言うNBA屈指のPG(ポイントガード)と契約を結びました。PGは田臥のポジションで、競争相手(?)が一人増えたんです。

ナッシュはカナダ出身の白人で、良いパスを配給するばかりか、シュートも上手く、何でも出来る191cmの偉大な選手です。ちなみにこのシーズンMVPを獲得しました。

こんな選手と一緒ではPGとしての出番が少なくなるばかりか、強くさせようとして大型選手を重点的にプレーさせたり補強するため、田臥の出番は少なくなるだろうと推測してました。
それでも開幕のロースターに入れ、ゲームにも出ることが出来たんです。私個人的にはそれで十分満足ですけど(笑)

当初はエージェントの能力の無さに憤りを感じました。
ナッシュがサンズと契約すると言う噂は知らなかったのか、何故ロサンゼルス・クリッパーズにしなかったの? あそこなら日本人及び日系人が多いので商業ベースに乗りそうだし、弱い上に良いPGも居なかったからです。シアトル・スーパーソニックス、ゴールデンステート(サンフランシスコ)・ウォリアーズも良いPGが居なかったり怪我が多かったりで、チャンスはあると当時思ったのですけど、、、、、
今更愚痴をこぼしてもしょうがありません(笑)

さて日本へ帰ってきた田臥は、残念ながらホームタウンの神奈川ではなく、JBLのリンク栃木ブレックスでプレーします。
ここは能代工のコーチだった加藤三彦が今年から新たにコーチに就任したチームです。
自分のことを一番知っていて、一番うまく使ってくれそうなコーチ、と言うことでブレックスに決めたと田臥は言ってます。
神奈川のチームからのオファーは無かったとも言ってました。

ところで彼のプレーは何処で見れるのでしょうか?
9月26日から始まるJBLが良いと思います。

神奈川県内
11月14日(金) 秦野市総合体育館  vs 東芝ブレイブサンダース
15日(土) 川崎市とどろきアリーナ  vs 東芝ブレイブサンダース

東京都内
12月18日(木)国立代々木第2体育館  vs 日立サンロッカーズ
    19日(金) 同上

彼のプレーのどんな所を見たらよいのでしょうか?
先ずはパスです。視野が広く、味方の誰が、何処に、どんな状態で居るかを把握してるので、ノーマークの選手が居れば、そこを見なくてもパスが飛んでゆきます。
いわゆるノールックパスです。そのパスの素晴らしさに痺れて下さい(笑)

そしてシュートです。今まで以上にシュートに対して積極的になっていると思います。

しかし一番は、プレーではなく精神面の強さでしょう。
彼がアメリカで学んできたのはプロとして多くの強豪と競争することで、バスケットへの取り組み方や、勝負に対する執念と言う精神面を強化出来たのではないでしょうか?
これが日本選手に一番欠けているものなんです。

早く彼のプレーを見たいです。

<注釈 日本人初NBA選手?>
正確には日本生まれとして初のNBA選手となります。
と言うのも1947年、ユタ大を全米No.1に導いたPGとして、NYニックスにドラフト指名されてプレーした三阪 亙(ワット・ミサカ)と言う二世選手が居ました。日本は敗戦直後だったために相当迫害を受けたと言われます。
彼については下で詳しく書かれています。

http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/basketball/index.html

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

バスケット情報満載のあんたかブログ

※タイトル・本文に記載の人名・団体名は、
掲載当時のものであり、閲覧時と異なる場合があります。

 
 
                           
 
t