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    イベントレポート

【北京五輪を振り返って(1)】 金メダルをもう一度 〜 ソフトボール日本代表が優勝報告

by :スポーツ情報センター記者

 ソフトボールと野球。北京五輪が終わり、次の2012年ロンドン五輪から正式種目として外れることが決定している競技だ。テレビの前で日本代表を応援しながら、いつも心の片隅からその現実が離れなかった。

 メダル獲得が有力視されていた野球、星野ジャパンは期待に応えることができず、無念の4位に終わった。

 一方ソフトボールは激戦の末、悲願の金メダルを獲得。日本中が歓喜に包まれた。8月21日の日本対アメリカの決勝戦は、関東地区で瞬間最高視聴率が47.7%に達し、最も注目された競技と言っても過言ではないだろう。

 

 偉業を成し遂げたソフトボール日本代表の中で、日立ソフトウェア(横浜市戸塚区)に所属する選手らが9月1日、横浜市役所を訪れ市民祝賀会に参加、集まった約250人の市民から祝福を受けた。出迎えた中田宏横浜市長は、金メダルが決まった瞬間は家族そろって涙したエピソードを明かし、「見事なチームワークによって得た金メダル。これからも皆さんが活躍できる環境を作り、早く五輪でソフトボールが復活できるように努力していきたい」と力を込めた。

 

 

日立ソフトウェア所属のソフトボール日本代表が横浜に凱旋!

 

 

 花束贈呈で拍手が巻き起こる中、3人の選手が市民へ感謝の気持ちを伝えた。主将で中堅手の山田恵里選手。決勝で放った本塁打は、金メダルへ近づく大きな一打となった。「横浜の代表として北京の地に行けたことを誇りに思います。自分たちの力だけではなく、たくさんの方々に応援していただいて獲ることができた金メダルです」と嬉しそうに話した。日本代表の4番、左翼手の馬渕智子選手は「ソフトボールの面白さを皆さんに知っていただけたことを嬉しく思います」と笑顔を見せた。そして決勝進出をかけたオーストラリア戦でサヨナラ打を放った遊撃手の西山麗選手は、「監督やコーチを胴上げすることができて、すごく嬉しく思っています。子どもたちに夢を与えられるように精一杯努力していきたい」と感慨深く話した。西山選手は生まれつき患った心臓病を克服し、一選手としての夢を叶えた。その姿は病気と闘う人たちに大きな希望を与えた。

 

 

  

「女イチロー」の異名を持つ日本代表主将・山田恵里選手(左) 初の五輪で4番の重責を果たした馬渕智子選手(右)

 

 

 

病を乗り越え、夢を叶えた西山麗選手の姿に日本中が感動した

 

 常に温かい眼差しで選手を見守る姿が印象に残る斎藤春香監督は、この日も柔らかい笑顔を絶やさなかった。「(北京五輪では)この3選手がメモリアルな一打を放ってくれました。2016年にソフトボールの五輪復活を願いながら活動し、これからも夢と感動を与えていきたい」と宣言した。祝賀会には日本代表の田本博子コーチと総務の亀田悦子さんも参加した。

 

 

  

選手として過去3大会の五輪に出場、初めて指揮を執った北京で最高の結果を出した斎藤春香監督

 

 そして3選手は横浜市から、中田市長と須藤照彦財団法人横浜市体育協会会長連名の表彰を受けた。須藤会長は、「皆さんの活躍がスポーツ好きの少年、少女たちに勇気を与えてくれました」と喜び、日本代表の健闘をたたえた。

 

 

3人の胸に輝く金メダル!左から須藤市体育協会会長、西山選手、山田選手、馬渕選手、中田市長

 

 授賞式の後の記念撮影では、中田市長が隣に立った馬渕選手の金メダルを手に取り、「(金メダルを)噛みましたか?」と質問すると、「はい、噛みました」と馬渕選手がはにかんで答える場面も。続く懇談の時間では、中田市長へ日本代表メンバーのサイン入り絵皿が贈られた。ソフトボールに魅せられた様子の中田市長は熱心に斎藤監督、選手たちに質問。監督はメダルをもらえないという実情や、選手村の食事はヨーロッパやアジアの豊富なメニューがある中で、和食は小さなのり巻きだったという裏話が披露された。山田選手は「決勝のホームランはまさか入ると思わなかった」と笑顔で振り返った。

 

 

  

メダルを手に取り、「重たいね」と中田市長(左) 偉業を成し遂げた日本代表の記念の絵皿(右)

 

 北京五輪の感動が鮮やかによみがえったひととき。ソフトボールの日本リーグは9月6日に再開する。目の前の戦いと向き合いながら、斎藤監督、選手たちが口を揃えた「2016年五輪競技復活」を目指して新たな一歩が始まる。ただ一度の金メダルで終わらせないために、私たちもソフトボールに注目し、復活を願う気持ちを忘れずにいたい。

 

 

  

あの感動をもう一度…ソフトボール五輪競技復活を祈ろう!