横浜市出身の関取、荒篤山関が林文子市長を表敬訪問
大相撲名古屋場所の番付編成会議で新十両に昇進することが決まった荒篤山関(こうとくざん、本名・寺井ジャスパーケネス、27歳=荒汐部屋)が、その報告のため、6月1日(火)に林文子横浜市長を訪問しました。
(左から)林文子市長、荒篤山関、荒汐親方
林市長が持つ凧は、番付で作られたもの
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荒篤山関は、横浜市緑区出身。お母さんの母国であるフィリピンで生まれ、中学生になる12歳の時に日本に来日しました。横浜市立十日市場中学校卒業と同時に荒汐部屋に入門し、12年かけて関取になりました。
そして、荒篤山関が関取になったことで、横浜市出身力士として『22 年ぶりの関取』が誕生したことになります。
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林市長から「荒篤山関、十両昇進まで大変なご苦労をされたと伺いました。横浜市としては本当にうれしい限りです、心からお祝い申し上げます。コロナ禍で、みんなの気持ちが沈んでいるところに、たいへん明るいニュースです。ご苦労が実ってこんにちがあるということは、横浜の子どもたちにとっても励みになると思います」とお祝いされると、
「このような大変な時期に、お時間をいただきありがとうございます」(荒汐親方)、「(親御さんから)15歳から預かって、12年でやっと関取になることがかないました」(先代のおかみさん)と、続けて話しました。
荒篤山関は、林市長から「(関取になった)お気持ちは、いかがですか」と尋ねられ、「やっと、ようやく上がれて嬉しいです」と、笑顔で答えていました。
荒汐部屋への入門のきっかけは、お父さんが荒汐部屋に連れて行ってくれて、稽古を見学して、お昼ご飯にちゃんこを一緒に食べたことだそうです。また、関取になるまでの12年の中で、途中で相撲をあきらめようと思ったことはなかったそうです。先代のおかみさんからは、「相撲経験のない12歳までフィリピンで育ってきた子が、日本も初めてでいきなりの相撲で、ギャップがあったと思います。持ち前の明るさで、何とか乗り切ってくれました」との話もありました。
目標としている御嶽海関とは、お母さん同士がフィリピン出身ということもあり、タガログ語での会話を楽しんでいるそうです。
この表敬訪問で、横浜市民有志から贈られる新十両昇進祝いの『化粧まわし』デザインの一部が、お披露目されました。フィリピンの海「青」の地色に、フィリピンの国花「サンパギータ(白いジャスミン)」と横浜の市花「(赤い)バラ」を配置することで「フィリピンと横浜の架橋」をイメージしているそうです。
この『化粧まわし』をつけて土俵入りする荒篤山関の姿が楽しみですね。
(左から)ご両親、林文子市長、荒篤山関