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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.10「箱根」

 2011年1月2日から3日の2日間、第87回東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」が開催されました。箱根駅伝はお正月の風物詩として日本を代表する一大スポーツイベントです。沿道の応援は途切れることなく、おそらく日本で観客動員数の最も多いスポーツイベントではないでしょうか。横浜を縦断しますので、横浜在住の方にはなじみの深いイベントと思います。私も、小学生のころから毎年父に連れられて花の2区、権太坂に観戦に行ったものです。当時はジープに大学の名前の入ったのぼりをたくさんなびかせて、拡声器をもった監督、コーチがランナーに声をかけたり、リズムをとったりしてお祭りの神輿が近づいてくるようでわくわくしたものです。たしか道路法の問題で無くなってしまいましたが、昔を知る私は今のエコカーはなんかさびしい気がします。地球と選手には優しいですが、ぜひ戻してほしいものです。

 箱根駅伝は1920年(大正9年)2月14日に第一回大会が開催されました。現在のように正月2日、3日に開催されるようになったのは1956年(昭和31年)第32回大会からです。少し歴史を見てみましょう。
 1919年(大正8年)10月、マラソン代表としてストックホルムオリンピック(1919年)、に出場した東京高等師範学校(現筑波大学)出身の金栗四三と明治大学の沢田英一、東京高等師範学校体育課教授の野口源三郎の3名が小学校の運動会の審判をするため、汽車で埼玉県鴻巣市に向かっていました。その車中、ストックホルムオリンピック、マラソンで途中棄権し世界との差を痛感した金栗が、「強いオリンピック選手を数多く育てるには駅伝競争が最適である」と熱弁を振いました。3名の会話は大いに盛り上がり、「それなら、アメリカ大陸横断駅伝をやったらどうか」ということになりました。その後早速、都内の大学を集め、話し合いが行われました。アメリカ大陸横断駅伝開催は満場一致、アメリカ大陸横断駅伝の予選会としての大会を日本で開催しようということとなりました。その予選会の会場は、東京-水戸間や東京-日光間も候補に挙がっていましたが、東京-箱根間がコースとして最適であるとして、東京-箱根間が選ばれました。そして、1920年(大正9年)2月14日、早稲田大学、慶應大学、明治大学、東京高等師範学校の4大学で金栗審判長の号砲のもと第1回大会が開催されました。私は法政大学の監督をしていますが、法政大学は第2回大会から参加しています。

 アメリカ大陸横断駅伝のほうはどうなったかといいますと、1922年(大正11年)3月に渡米した2名の学生がサンフランシスコで暴漢に襲われる事件があり、開催には至りませんでした。しかし、彼らの意思は今年も引き継がれ、箱根駅伝は87回を数えるビックイベントにまで成長しました。
 さて、前置きが長くなりましたが、2日、3日と私はコースに行きました。今年もまた沿道の応援が増えている気がします。小学生の時、父に連れられて観戦した時は普通に沿道に車を止めて応援できたような記憶があるのですが、今となっては不可能です。
 2日は戸塚中継所、3日は鶴見中継所に行きました。といいますのも法政大学は一つのチームとしては出場できず、学連選抜としてこの区間、2名が走ることになったからです。うちは73回の出場回数がありますが、チームで出場できないのは本当にさびしいものです。

 チームとして出場しているとき、私はスタートに行って、スタート後すぐに箱根に向かいます。ですから、最近は中継所には顔を出していなかったのですが、今回は中継所に行きました。中継所では多くの方がボランティアをしてくださっていました。本当にありがたいです。鶴見中継所では、自治体の方々が選手のためにテントとジェットヒーターを用意してくださいました。また、白バイで先導してくださる交通機動隊の方を始め、警察の方々も沿道での交通整理、相当数が動員されています。正月の朝っぱらから昼過ぎまで国道1号線を我が物顔で使わせていただくのですものね。審判の方々も大変と思います。多くの皆さんに支えられ、温かい声援と心遣いで箱根駅伝は成り立っているんだと改めて感じました。


自治体の方々が選手のためにテントとジェットヒーターを用意してくださいました


白バイで先導してくださる交通機動隊の方を始め、警察の方々も沿道での交通整理、相当数が動員されています

 来年は必ずチームとして箱根路に戻ってきます。

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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