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SPORTSよこはまVol.22:サッカーW杯南アフリカ大会

 サッカーW杯2010 南アフリカ大会 奮戦記(上)

サッカー日本代表チームドクター 清水 邦明 医師
(横浜市スポーツ医科学センター整形診療科勤務)

メディカルスタッフとしてW杯に
同行した清水ドクター(左から3人目)
メディカルスタッフとしてW杯に
同行した清水ドクター(左から3人目)

■日本代表のチームドクターについたきっかけは?

 子供の頃からサッカーをずっとやっていたので、医者になった時にいずれこういう仕事ができればと思っていました。在籍していた聖マリアンナ医大整形外科の教授が日本サッカー協会のスポーツ医学委員長を務めていたため、徐々にサッカーの現場に携わる機会を頂くようになり、1998年のトルシエ監督の時から日本代表に同行させて頂くようになりました。

■前回のドイツ大会もチームドクターとして同行されていましたね?

 はい。ただドイツ大会はアシスタントの立場でしたし、1試合も勝てずに終わったのでこれと言って仕事もしないまま終わってしまったように感じました。ドイツ大会が終わって次の4年という時にチームドクター3人の世話人(責任者)を仰せつかり、その流れで今回本大会に同行させて頂くことになりました。

■大会直前の準備で何か苦労した点はありますか?

 今回、代表チームは本大会第1戦の3週半前、5月21日に集合しましたが、まずその時点で筋肉系の故障明けの選手が4、5人いました。所属クラブのドクターや岡田監督と十分に話をし、本番に向けてリスクを極力回避し、ゆっくりと慎重に復帰をさせるという方針としました。岡田監督にはそれらの選手は国内合宿ではリハビリに専念させて、スイスに行ってから合流させたいとお話し、了解を頂きました。もちろん、ある程度走れる状態には戻っており、本番には必ず間に合うという前提で選ばれていましたが、とにかく治りきらないまま、あるいは再発させて大会が近づくという状況を絶対に避けるべきと考えたのです。結果として、スイス合宿からは全員いい状態でトレーニングに臨むことができました。

■監督とはどのようなやりとりをするのですか?

 自分たちドクターは何かあった時(傷病者が出た時)の対応が主な役目なので、何も問題がなければわれわれの方から監督に進言することはあまりありません。怪我人や病人が出た時に復帰の見通しを判断して伝え、また日々の回復状況について報告することになります。ただ当然プレーしている選手全員が絶好調というわけではなく、多少痛みを抱えながらプレーしている選手が必ず何人かいます。プレー継続によって状態が悪化する可能性がある時、あるいはパフォーマンスに影響するような場合にはこちらから伝えますが、痛みがあってもフルにプレーできている選手についてどこまで伝えるかは少し難しい部分もあります。この報告については監督によっても求める部分がある程度違います。ジーコ監督やオシム監督など外国人監督は、コミュニケーションの問題もあるでしょうが、痛めていることをいちいち言ってこなくていい、やれるかやれないか(やらせていいかどうか)だけを伝えてくれというスタンスでした。岡田監督からは、プレーできていても故障をかかえていれば無理をさせないなど対応を考えるから報告してほしい、ということを言われていました。そのへんの監督に応じて求められている部分に的確に対応するのがやや難しいといえます。

■大会に入る直前のコートジボワール戦で今野選手が怪我をしましたね?

 今野選手の怪我は膝の内側側副靭帯の損傷でした。結果的に損傷の程度は軽かったのですが、受傷直後の痛がり方や交代してロッカールームに戻った時の様子からはちょっとマズいなと思いましたし、本人も直後は「本番は無理だ」と感じたようでした。しかし、試合後に何度もチェックして、損傷の程度は比較的軽症(=1度損傷)と確認できたので、10日から2週間で十分試合出場可能だろうと判断しました。岡田監督から「どれくらい時間が必要なんだ」と聞かれ、「10日後の第1戦(カメルーン戦)は五分五分、2週間後の2戦目(オランダ戦)はまず大丈夫です」と伝えました。結果として「それなら連れて行こう」ということになりました。(次号に続く)

清水 邦明 医師〈清水 邦明 医師プロフィール〉
聖マリアンナ医科大学医学部卒。
聖マリアンナ医科大学整形外科講師を経て横浜市スポーツ医科学センター整形診療科に勤務。
日本体育協会公認スポーツドクター、日本整形外科学会認定医。
日本整形外科スポーツ医学会評議員、日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会評議員を務める。
 

 サッカーW杯2010 南アフリカ大会 奮戦記(上)

サッカー日本代表チームドクター 清水 邦明 医師
(横浜市スポーツ医科学センター整形診療科勤務)

メディカルスタッフとしてW杯に
同行した清水ドクター(左から3人目)
メディカルスタッフとしてW杯に
同行した清水ドクター(左から3人目)

■日本代表のチームドクターについたきっかけは?

 子供の頃からサッカーをずっとやっていたので、医者になった時にいずれこういう仕事ができればと思っていました。在籍していた聖マリアンナ医大整形外科の教授が日本サッカー協会のスポーツ医学委員長を務めていたため、徐々にサッカーの現場に携わる機会を頂くようになり、1998年のトルシエ監督の時から日本代表に同行させて頂くようになりました。

■前回のドイツ大会もチームドクターとして同行されていましたね?

 はい。ただドイツ大会はアシスタントの立場でしたし、1試合も勝てずに終わったのでこれと言って仕事もしないまま終わってしまったように感じました。ドイツ大会が終わって次の4年という時にチームドクター3人の世話人(責任者)を仰せつかり、その流れで今回本大会に同行させて頂くことになりました。

■大会直前の準備で何か苦労した点はありますか?

 今回、代表チームは本大会第1戦の3週半前、5月21日に集合しましたが、まずその時点で筋肉系の故障明けの選手が4、5人いました。所属クラブのドクターや岡田監督と十分に話をし、本番に向けてリスクを極力回避し、ゆっくりと慎重に復帰をさせるという方針としました。岡田監督にはそれらの選手は国内合宿ではリハビリに専念させて、スイスに行ってから合流させたいとお話し、了解を頂きました。もちろん、ある程度走れる状態には戻っており、本番には必ず間に合うという前提で選ばれていましたが、とにかく治りきらないまま、あるいは再発させて大会が近づくという状況を絶対に避けるべきと考えたのです。結果として、スイス合宿からは全員いい状態でトレーニングに臨むことができました。

■監督とはどのようなやりとりをするのですか?

 自分たちドクターは何かあった時(傷病者が出た時)の対応が主な役目なので、何も問題がなければわれわれの方から監督に進言することはあまりありません。怪我人や病人が出た時に復帰の見通しを判断して伝え、また日々の回復状況について報告することになります。ただ当然プレーしている選手全員が絶好調というわけではなく、多少痛みを抱えながらプレーしている選手が必ず何人かいます。プレー継続によって状態が悪化する可能性がある時、あるいはパフォーマンスに影響するような場合にはこちらから伝えますが、痛みがあってもフルにプレーできている選手についてどこまで伝えるかは少し難しい部分もあります。この報告については監督によっても求める部分がある程度違います。ジーコ監督やオシム監督など外国人監督は、コミュニケーションの問題もあるでしょうが、痛めていることをいちいち言ってこなくていい、やれるかやれないか(やらせていいかどうか)だけを伝えてくれというスタンスでした。岡田監督からは、プレーできていても故障をかかえていれば無理をさせないなど対応を考えるから報告してほしい、ということを言われていました。そのへんの監督に応じて求められている部分に的確に対応するのがやや難しいといえます。

■大会に入る直前のコートジボワール戦で今野選手が怪我をしましたね?

 今野選手の怪我は膝の内側側副靭帯の損傷でした。結果的に損傷の程度は軽かったのですが、受傷直後の痛がり方や交代してロッカールームに戻った時の様子からはちょっとマズいなと思いましたし、本人も直後は「本番は無理だ」と感じたようでした。しかし、試合後に何度もチェックして、損傷の程度は比較的軽症(=1度損傷)と確認できたので、10日から2週間で十分試合出場可能だろうと判断しました。岡田監督から「どれくらい時間が必要なんだ」と聞かれ、「10日後の第1戦(カメルーン戦)は五分五分、2週間後の2戦目(オランダ戦)はまず大丈夫です」と伝えました。結果として「それなら連れて行こう」ということになりました。(次号に続く)

清水 邦明 医師〈清水 邦明 医師プロフィール〉
聖マリアンナ医科大学医学部卒。
聖マリアンナ医科大学整形外科講師を経て横浜市スポーツ医科学センター整形診療科に勤務。
日本体育協会公認スポーツドクター、日本整形外科学会認定医。
日本整形外科スポーツ医学会評議員、日本関節鏡・膝・スポーツ整形外科学会評議員を務める。