SPORTSよこはまVol.20:特集(2/4)
日本で初めてオリンピックが開催されたのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックです。しかし、それより24年前に東京でオリンピックが開催される予定でした。もしこの時東京でオリンピックが開催されていれば、ここ横浜も競技会場となるはずでした。
●参考文献・写真出典/『横浜スポーツ百年の歩み』
1936(昭和11)年7月、国際オリンピック委員会総会で1940(昭和15)年9月に東京で第12回オリンピック大会が開かれることが決定しました。しかし日中戦争拡大により1938(昭和13)年7月に中止が決定し、1940年の東京オリンピックは「幻のオリンピック」となってしまいました。
ボート競技では、1936(昭和11)年ごろから東京オリンピックの漕艇コースを横浜に招致することが検討され始めました。当時の助役をはじめとする視察団が鶴見川を視察し、鶴見川と並行して漕艇コースを作る方針を内定しました。また、招致運動を強化するために諸官庁と民間のボートクラブが統合して横浜漕艇倶楽部が創立されるなど、熱心な活動が進められました。しかしオリンピック中止によりボートコースの完成はなりませんでした。
ヨット競技でも、地元の熱心な誘致運動が実り、オリンピックでのヨットのコースとして横浜市中区山下町市営貯木場先海面が選ばれていました。オリンピックは中止となりましたが、横浜ヨットハーバーはオリンピック中止が決定した翌年の1939(昭和14)年に着工し、翌年6月に日本でただ一つのヨット専門港として完成しました。
横浜ヨットハーバーでの最初のヨット競技会は、1940(昭和15)年6月の紀元2600年奉祝第1回東亜競技大会のヨット競技で、日本、旧満州国、中華民国(現在の中国)、フィリピン、ハワイが参加しました。これは第2次世界大戦前に日本で行われた唯一の国際レースでした。それ以来、明治神宮国民体育大会・夏季大会、全日本学生選手権大会、全日本選手権大会などのヨット競技はすべて横浜ヨットハーバーで行われました。港外で帆走するヨットは横浜の夏の風物詩として市民に親しまれましたが、1968(昭和43)年に港湾整備のため横浜ヨットハーバーは埋め立てられることとなりました。
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日本で初めてオリンピックが開催されたのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックです。しかし、それより24年前に東京でオリンピックが開催される予定でした。もしこの時東京でオリンピックが開催されていれば、ここ横浜も競技会場となるはずでした。
●参考文献・写真出典/『横浜スポーツ百年の歩み』
1936(昭和11)年7月、国際オリンピック委員会総会で1940(昭和15)年9月に東京で第12回オリンピック大会が開かれることが決定しました。しかし日中戦争拡大により1938(昭和13)年7月に中止が決定し、1940年の東京オリンピックは「幻のオリンピック」となってしまいました。
ボート競技では、1936(昭和11)年ごろから東京オリンピックの漕艇コースを横浜に招致することが検討され始めました。当時の助役をはじめとする視察団が鶴見川を視察し、鶴見川と並行して漕艇コースを作る方針を内定しました。また、招致運動を強化するために諸官庁と民間のボートクラブが統合して横浜漕艇倶楽部が創立されるなど、熱心な活動が進められました。しかしオリンピック中止によりボートコースの完成はなりませんでした。
ヨット競技でも、地元の熱心な誘致運動が実り、オリンピックでのヨットのコースとして横浜市中区山下町市営貯木場先海面が選ばれていました。オリンピックは中止となりましたが、横浜ヨットハーバーはオリンピック中止が決定した翌年の1939(昭和14)年に着工し、翌年6月に日本でただ一つのヨット専門港として完成しました。
横浜ヨットハーバーでの最初のヨット競技会は、1940(昭和15)年6月の紀元2600年奉祝第1回東亜競技大会のヨット競技で、日本、旧満州国、中華民国(現在の中国)、フィリピン、ハワイが参加しました。これは第2次世界大戦前に日本で行われた唯一の国際レースでした。それ以来、明治神宮国民体育大会・夏季大会、全日本学生選手権大会、全日本選手権大会などのヨット競技はすべて横浜ヨットハーバーで行われました。港外で帆走するヨットは横浜の夏の風物詩として市民に親しまれましたが、1968(昭和43)年に港湾整備のため横浜ヨットハーバーは埋め立てられることとなりました。