SPORTSよこはま 2010 FEBRUARY Vol.17
アテネオリンピック男子体操の主将を務め、見事団体で金メダルに輝いた米田功さん。
“栄光の架け橋”から5年あまりが経過しましたが、あの素晴らしいシーンが記憶から薄れることはありませんね。いま米田さんは、現役を引退し、新たに指導者としての道を歩もうとしています。また、昨年から横浜の各地で開催されるイベントに積極的に参加し、子供たちをはじめとした市民の皆さんにスポーツのすばらしさを啓発する活動をしています。その米田さんが、自身の考える指導コンセプトなどを語ってくださいました。金メダリストが抱く思いとは──?
●ぜん息児だった米田さんと体操との出会い
実は私は幼少の頃ぜん息を患い入退院を繰り返していたので、母はいじめられるのではないかと心配していて「もっと強い子どもに育ってほしい」と思っていたみたいです。
そんな時に小学校高学年の子どもが側転しているのを見て「これができたらいじめられることはない」と思い、近所の体操クラブに入ったのです。はじめは先輩の上手な技を真似ながらやっていましたが、小学校3年の頃から上手くなって、4年の時に全国大会で3位となりました。そのクラブは中学生になっても続けましたが、練習は正直きつかったですね。その日を乗り切ることでいっぱいでしたよ。でも嫌と思いながらも夢中だったんだと思います。
●高校生になって五輪出場を意識し始めた!
体操の強い高校に入って、そこでも上手な先輩についていきました。その学校を出た諸先輩の多くが五輪に出場していたので、「自分もいずれは出場するのかな」と考えていました。「五輪」というと遠いところにある憧れのような存在かもしれませんが、自分の置かれた環境によってその意識がだいぶ違ってくるように感じます。出場にはもちろん実力が左右しますが、まわりの関係者に五輪出場者がいるなど「身近に感じる」ことも1つの大きな要素であったのかなと思います。
●「五輪出場経験を持つ米田をもっと身近に感じてほしい!」
赤レンガでのイベントでは
子供たちと一緒に競走しました!
私が今できることは、メダリストとして多くの子供たちと接することで、もっと自分を身近に感じてもらうことです。そして、はじめは「メダリストなんて憧れ」でしかないかもしれないけれども、気軽に会話したり一緒に練習したりすることで、五輪出場を単なる夢物語で終わらせてほしくないと思っています。
私たちもはじめから跳び箱を飛べたわけではない。「自分もはじめはできなかったんだよ」ということを話してあげて、子供たちが気を楽にして、かつ楽しみながら運動を続けていってほしいと思っています。
そしてスポーツはチャレンジの連続、失敗は付きものです。失敗を怖がらず恥ずかしがらず、「失敗するところに大切なことがたくさん詰まっている!それが成功したときに喜べばいい!」ということも、実体験をもとにどんどん話していってあげたいですね。
★米田さんは、今後ここ横浜でも体操をはじめとしたさまざまなスポーツ普及活動を積極的に展開される予定だそうです。是非間近でメダリストのお話や指導を受けてみたいですね。米田さんの活躍に期待しましょう!
Profile
米田 功(よねだ いさお)
1977(昭和52)年8月20日大阪府堺市生まれ。元体操競技選手。
2004(平成16)年のアテネ五輪で男子体操の主将を務め、団体で金メダルを獲得した“栄光の架け橋”立役者の1人。種目別の鉄棒でも銅メダルを獲得するなど国内外で大活躍しました。
- スポーツナビゲーター
- 栄養を制してスポーツを制す!
- 横浜熱闘倶楽部
- 理想の倶楽部づくりをめざして
横浜FC 奥寺康彦会長 - 特集
- スキーの季節になりました!
- スキー用具の選び方
- 横浜でスキーができる施設
スノーヴァ新横浜 - 横浜スキー協会のスキー教室に参加してみました!
- 新連載企画
- 富士山への道2010スタートします!
- 2009横浜マラソンへの道
- 第5回 いざ本番!横浜マラソン大会に挑む!
- スペシャルインタビュー
- 金メダリスト米田功さんに聞く
- スポーツ医科学センター
- 日常生活で取り入れる運動
- 街の指導者紹介
- 指導者としても、選手としても常に感謝の気持ちを持ち続けています!
総合型地域スポーツクラブ 横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.) 福井 和基さん - イチオシ教室のご案内
- さあスポーツを始めよう!
横浜市スポーツセンター - 横浜市体育協会だより
- アーチェリーを楽しもう!
[横浜市アーチェリー協会] - ヨコハマからオリンピック選手を!!
[横浜市体操協会] - いつでも、どこでも、だれでもできるスポーツを!南区体育協会主催「スポーツフェスタ」
- 第44回 新春横浜スポーツ人の集い
- 2010ジュニアスポーツフェスティバル
- 財団法人横浜市体育協会 賛助へのお礼
- 読者アンケート
- 【SPORTSよこはま】一覧へ
アテネオリンピック男子体操の主将を務め、見事団体で金メダルに輝いた米田功さん。
“栄光の架け橋”から5年あまりが経過しましたが、あの素晴らしいシーンが記憶から薄れることはありませんね。いま米田さんは、現役を引退し、新たに指導者としての道を歩もうとしています。また、昨年から横浜の各地で開催されるイベントに積極的に参加し、子供たちをはじめとした市民の皆さんにスポーツのすばらしさを啓発する活動をしています。その米田さんが、自身の考える指導コンセプトなどを語ってくださいました。金メダリストが抱く思いとは──?
●ぜん息児だった米田さんと体操との出会い
実は私は幼少の頃ぜん息を患い入退院を繰り返していたので、母はいじめられるのではないかと心配していて「もっと強い子どもに育ってほしい」と思っていたみたいです。
そんな時に小学校高学年の子どもが側転しているのを見て「これができたらいじめられることはない」と思い、近所の体操クラブに入ったのです。はじめは先輩の上手な技を真似ながらやっていましたが、小学校3年の頃から上手くなって、4年の時に全国大会で3位となりました。そのクラブは中学生になっても続けましたが、練習は正直きつかったですね。その日を乗り切ることでいっぱいでしたよ。でも嫌と思いながらも夢中だったんだと思います。
●高校生になって五輪出場を意識し始めた!
体操の強い高校に入って、そこでも上手な先輩についていきました。その学校を出た諸先輩の多くが五輪に出場していたので、「自分もいずれは出場するのかな」と考えていました。「五輪」というと遠いところにある憧れのような存在かもしれませんが、自分の置かれた環境によってその意識がだいぶ違ってくるように感じます。出場にはもちろん実力が左右しますが、まわりの関係者に五輪出場者がいるなど「身近に感じる」ことも1つの大きな要素であったのかなと思います。
●「五輪出場経験を持つ米田をもっと身近に感じてほしい!」
赤レンガでのイベントでは
子供たちと一緒に競走しました!
私が今できることは、メダリストとして多くの子供たちと接することで、もっと自分を身近に感じてもらうことです。そして、はじめは「メダリストなんて憧れ」でしかないかもしれないけれども、気軽に会話したり一緒に練習したりすることで、五輪出場を単なる夢物語で終わらせてほしくないと思っています。
私たちもはじめから跳び箱を飛べたわけではない。「自分もはじめはできなかったんだよ」ということを話してあげて、子供たちが気を楽にして、かつ楽しみながら運動を続けていってほしいと思っています。
そしてスポーツはチャレンジの連続、失敗は付きものです。失敗を怖がらず恥ずかしがらず、「失敗するところに大切なことがたくさん詰まっている!それが成功したときに喜べばいい!」ということも、実体験をもとにどんどん話していってあげたいですね。
★米田さんは、今後ここ横浜でも体操をはじめとしたさまざまなスポーツ普及活動を積極的に展開される予定だそうです。是非間近でメダリストのお話や指導を受けてみたいですね。米田さんの活躍に期待しましょう!
Profile
米田 功(よねだ いさお)
1977(昭和52)年8月20日大阪府堺市生まれ。元体操競技選手。
2004(平成16)年のアテネ五輪で男子体操の主将を務め、団体で金メダルを獲得した“栄光の架け橋”立役者の1人。種目別の鉄棒でも銅メダルを獲得するなど国内外で大活躍しました。