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    イベントレポート

野球こそわが人生 〜 中学球児たちの夏

by :かぐや姫

 中学生の甲子園。そう呼ばれる大会が、今年も横浜スタジアムを舞台に開催された。第25回全日本少年軟式野球大会は、厳しい県予選を勝ち抜いた全国の代表16チームが頂点を目指して熱い戦いを繰り広げる。8月5日〜8日の4日間、中学球児たちがグラウンドに残した足跡を振り返る。

   

開幕!中学生の甲子園。前年度優勝の石川県代表星稜中が優勝旗返還(右)

   

選手宣誓は高知中の主将・山﨑隼司選手(左) 地元横浜、泉が丘中の主将・高山悠紀選手は「歓迎のことば」を宣言(右)

【神奈川勢の戦い】
 地元を代表して、神奈川県代表の相武台フレンズBCと、横浜市代表の泉が丘中学校クラブが共に全国大会初出場を果たした。
 8月5日、開会式の直後の第1試合に登場した相武台フレンズは創部3年目のクラブチーム。スタートは河川敷でグラウンド作りから。「芝をダイヤモンド型にくりぬいて、少しずつ草をむしりながらグラウンドを作りました」と、チームを率いる田口誠監督は話す。1期生が卒業前につかんだ大舞台の切符。そんな彼らが対戦するのは、全国大会出場7回目を誇る岡山県代表の岡山クラブだ。試合は二回表、岡山が一挙4点を先制し、相武台フレンズは苦しい展開に。相武台フレンズの応援スタンドでは、主将の吉田拳太選手の父・千尋さんが息子の晴れ舞台を見守る。「先輩がいない中でここまでたどり着き、すごくまとまったチームになった」と話し、「勝ち負けよりも横浜スタジアムでプレーできることに感謝し、元気良くやってくれればいい」と温かい眼差しを送った。
 結果、6−1のスコアで相武台フレンズは敗れた。しかし田口監督が「小学校の少年野球チームの時から選手たちを見てきて、夢の続きのチーム」と話すように、彼らの夢はまだまだ無限大に広がっている。吉田選手は「自分の人生は野球だと思っているので、最後まで野球を続けたい」と表情を引き締めた。頼もしい先輩たちの姿は、スタンドで応援した後輩たちの胸にしっかりと刻まれたに違いない。

   

初めての全国大会に臨む相武台フレンズナイン。

   

一選手、そして主将として頑張った吉田拳太選手(左)と父・千尋さん(右)

 翌8月6日、泉が丘中が初戦を迎えた。チームを率いて6年目の大西利幸監督の学校での素顔は英語教師。試合前、「先生、俺足震えてるよ〜」と監督に思わず訴える選手の姿に初出場の初々しさが伝わってくる。しかし泉が丘中は春期大会で優勝した実力がある。「明るく野球が好きな子どもたちが集まったチーム。自分たちの野球を楽しくできるように声を掛けていきたい」と、大西監督は気合に満ちた表情で話した。
 泉が丘中の対戦相手は、10年ぶり4回目の出場の高知県代表高知中クラブ。試合は高知中の西川大地投手が好投し、6四死球を与えたものの三塁を踏ませずノーヒットノーランを達成、1−0で勝利を収めた。泉が丘中の八巻大輔投手は、二回の裏に失ったわずか1点に涙を呑む結果に。試合後、泣きじゃくる選手たち。大西監督は、「子どもたちはよくしのいだ。120%の力を出したと思う」とねぎらい、「こういう野球をすれば強くなることが見えた。私も彼らを目標にして、彼らのようなチームを作っていきたい」と話すと、こみあげるものを抑えきれずに涙をぬぐった。開会式で大勢の観客が見つめる中、「歓迎のことば」を堂々と述べた姿が印象的だった主将の高山悠紀選手は、「自分たちは今まで全員野球でやってきたので、高校でも目標にしたい」と真っすぐに前を見つめた。大西監督の深い愛情に育まれ成長した選手たち、その心を胸に刻み次のステップへ進む。

   

全員野球で戦った泉が丘中ナイン

   

温かく選手を見守る大西利幸監督(左) おそろいのTシャツで応援する泉が丘中のスタンド(右)

【頂点に立つ】

 泉が丘中を、固い守りと投手力で抑えた高知中。西川投手と、主将でキャッチャーを務める山﨑隼司選手のバッテリーの活躍が光った。面白いことに西川投手は中学1年生までキャッチャー、山﨑選手は小学校時代はピッチャーだったという。高知中は続く2回戦、準決勝と零封で勝ち進む快進撃を続ける。
 そして8月8日の決勝戦は、高知中と沖縄県代表のうるま市立あげな中学校クラブの対戦となった。あげな中は持ち味の「つなげる野球」で確実に得点し、決勝進出を果たした。昨年の7月から主将を務める古謝諒透(コジャリョウト)選手は、「横浜スタジアムは沖縄の球場と芝が全然違って、ここでプレーできたことは光栄」と謙虚に語り、「決勝は自分たちの全員野球で楽しんで全国制覇したい」と笑顔で宣言した。連戦の中、中華街でおいしい料理を堪能する息抜きの時間もできたとか。はるばる沖縄、高知からやってきた両チーム。どちらに勝利の女神は微笑むのだろうか。

   

高知中の最強バッテリー!(左) 主将の責任感あふれる、あげな中の古謝諒透選手(右)

 試合は打撃戦に。高知中の先発はもう一人のエース、松窪海斗投手。「打たれてもいいから、真っすぐでどんどん押していけ」と濵口佳久監督の指示通り、思いきって投げた。スタンドで息子の勇士を見つめる母・小夜さんは、「毎日遅くまで練習で泥まみれになって帰ってきます。厳しい練習を乗り越えてきたので、自信をもって堂々とやってもらいたい」と感慨深く話した。高知中は4回から西川投手につなぎ必勝リレー。序盤で4点を失なった松窪投手だが、その後自らのバットで決勝点をたたき出し、7−6で高知中が全国制覇を成し遂げた。
 前日甲子園の高校野球で敗れた高知高校とは中高一貫校。濵口監督は5年間高校でコーチを務めた後、中学の監督に。監督4年目で悲願の日本一をつかんだ。「野球はそんなに甘くないぞ、と声を掛けたい(笑)。この子たちが高校に上がった時、甲子園で活躍して日本一になってほしい」と選手たちを誇らしげに見つめた。

   

濵口監督を歓喜の胴上げ(左) 優勝旗をしっかりと握り締める山﨑選手(右)

   

決勝を戦った両チームの指揮官。高知中、濵口監督・左(左) あげな中、山内監督・左(右)

【ハマの甲子園の舞台裏】
 大会を陰で支えた人たちの存在も見逃せない。遠方からの参加のため、応援団がいない学校も多い。そこで横浜市内の中学校のブラスバンド部が友情出演。猛暑に負けず、熱い応援で盛り上げた。優勝した高知中には、校歌を演奏してプレゼント。このサプライズに濵口監督一同、感無量の様子だった。
 勝者がいれば敗者あり…準決勝であげな中に敗れた岡山クラブは試合後、千羽鶴が入った箱を持ってあげな中ベンチを訪れた。「1回戦で対戦した相武台フレンズから引き継いだもの」と千羽鶴を手渡し、あげな中へエールを送った。
 そして決勝戦、閉会式を終え、名残惜しそうにグラウンドに残っていた両チーム。突然あげな中の選手たちが外野に走り、輪になって指笛を吹き始めた。沖縄でおなじみの指笛を、試合前などに選手たちがアレンジして鳴らす習慣があるのだとか。初めて見る「儀式」に高知中の選手たちも外野に一直線、即席の「指笛講習会」が始まった。無邪気な表情で戯れる選手たち。戦いを終え、一人の中学生に戻った瞬間だった。

   

岡山クラブからあげな中へ千羽鶴の贈呈(左) 大会を支えた審判の皆さま(右) 

   

ブラスバンド部、プラカード嬢…横浜市内の中学生も友情出演で頑張りました!

 大会に携わった中学生たちにとって、一戦一戦が一期一会。一生に一度しかないこの夏が、かけがえのない思い出になったことだろう。ひたむきに白球を追い、涙を見せたり笑ったり、選手たちの一生懸命な姿に勇気をもらった。大好きな野球が、もっともっと好きになった。

   

   

選手の皆さま、素敵な笑顔をありがとうございました!これからの野球人生を応援しています!