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紡がれる「夢」 横浜FC 三浦知良 選手
横浜熱闘倶楽部
昨年度、三浦知良選手が移籍を果たした後、日本代表経験のある山口選手、望月選手を獲得した横浜FC。今季こそチーム設立以来の「夢」、J1昇格を果たす年と定め、クラブはJ1経験者による補強を敢行。新たに三浦選手は「監督補佐」に任命されました。移籍2年目の今年、三浦選手はどのような「夢」を横浜にもたらしてくれるのでしょう?
取材●文/ 中川修二
(横浜市スポーツ情報センター)
協力●横浜FC

三浦知良選手の写真草津GK小島氏の引退で、三浦選手がJリーグ最年長となられました。三浦選手は「年齢を重ねる事」をどう捉えていらっしゃいますか?また三浦選手のように、プロとして長く活躍するには、どのような心構えが必要でしょう?

 年齢に関しては特に意識していません。それよりも、常に現状に満足しないこと、まだここよりも先があると思い続けることが大切だと考えています

これまで、精神的にも肉体的にも辛い時期を乗り越えてこられたのは「サッカーが好きだから」という三浦選手の原点に帰結すると思います。プロとして、人生の喜びを感じる瞬間、そして心がけているのはどのような点でしょう?

 サッカーを好きで楽しむことはもちろんですが、自分が心身ともに充実してこそ喜びを感じることができるのだと思います。またメディアと話すこと、サポーターを大切にする事はプロ選手の仕事として当然の範囲内と思っています。そういう部分で、その時にできることを、自分の判断の中でできる関係でありたいといつも心がけています。

横浜FC移籍後にも継続されている小学校の訪問授業。拝見した特集番組で自らのブラジルでの体験をお話する姿には、サポーター開拓という目的に加え「何かを伝えよう」とする強い姿勢を感じました。年月が経過し三浦選手のご子息が同年代に成長したことは「授業の趣旨」に何かしらの変化を与えているのでしょうか?

 息子の成長が特に授業の趣旨に変化を与えているという事はありませんが、僕自身の考えとしては何かを彼ら、小学生の子供たちに伝えたいと言うよりも彼らが持つスポーツに限ったことではない可能性を、僕自身が何かをすることによって感じてもらえれば、これほど喜ばしいことはないと思っています

授業のタイトルを「夢で逢えたら」とされたのには、どのようなお考えがおありなのでしょうか?また三浦選手にとって、「夢」はどのような存在ですか?

 「夢で逢えたら」というタイトルは特に理由はなく感覚的に決めました。僕にとって「夢」は目標であり、生きていく中で大きな存在です。「何か」をやるにあたっては、必ず「夢」という目標が必要なのですから。

厳しい食事制限をしたり、トレーニングルームを自前で用意したりと三浦選手の自己管理の厳しさは広く知られています。何十年も継続し続ける苦しさを私たちでは想像する事すらできませんが、それを可能にする程までの「サッカー」の魅力とは?

 「サッカーの魅力」をずっと追い求めているのですが、その「答え」はまだ見つかっていません。
好きな事でもあり、生きていく上での糧でもあるし、僕にはサッカーしかない。
まだ、「答え」を探しているところです。

リーグ戦開幕直後、横浜FCは足立監督を解任し、高木琢也コーチが新たに昇格されました。
監督経験のない高木新監督の下、これからの長いシーズンを戦い抜くには「監督補佐」である三浦選手の経験が何よりも必要です。
「答え」の片鱗を見つけられたその時こそ、J1昇格の願いが届く時と、サポーター、横浜市民と共に期待しています!


11 三浦 知良
 Kazuyoshi MIURA  FW
生年月日:1967年2月26日

出身
:静岡県 身長/体重:177cm/72kg
経歴:城内FC(城内小学校−城内中学校)−静岡学園高等学校−ジュベントス(ブラジル)−キンゼ・デ・ジャウー(ブラジル)−サントス(ブラジル)−SEマツバラ(ブラジル)−CRB(ブラジル)−キンゼ・デ・ジャウー(ブラジル)−コリチーバ(ブラジル)−サントス(ブラジル)−読売SC/ヴェルディ川崎−ジェノア(イタリア)−ヴェルディ川崎−クロアチア・ザグレブ(クロアチア)−京都パープルサンガ−ヴィッセル神戸−横浜FC−シドニーFC(オーストラリア)

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