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特集(4/5) | SPORTSよこはまVol.19 | ハマスポどっとコム

スペシャルインタビュー
横綱白鵬関に聞く!横浜には年2〜3回は行きますよ。
巡業もありますし、横浜スタジアムで
始球式をやったこともありますし。
色々と思い出がありますね。

横綱白鵬関遠くモンゴルから来日し、懸命な努力のすえ現在の日本の相撲界をリードする第一人者となった横綱白鵬関。その横綱は、意外にもここ横浜と縁が深く、たびたび来浜されるとのこと。
今回、横綱に横浜との関わりや来日当初のエピソード、そして地方巡業への思いなどをお聞きしました。
土俵の上での闘志みなぎる表情とは違った、非常に穏和で優しい横綱の素顔を伺うことができました。

■日本で相撲を始めたきっかけは何だったのですか?

横綱白鵬関 私の出身国であるモンゴルにも相撲がありまして、そのモンゴル相撲の横綱だった父の背中をずっと見て育ってきたので、子どもの頃から「相撲をやりたい」と思っていたのです。ですが、周りから「相撲をやるにはまだ早すぎる」と言われて、代わりにバスケットボールをやっていました。
 15歳の時に、その当時活躍されていた旭鷲山関のお父様から、「日本に行って相撲の稽古をするのに参加しないか?」との誘いがあり、遊びの気持ちで来日しました。その時一緒に来日したのは7人だったのですが、うち3人は相撲部屋に入門することが決まり、私を含めた残りの4人はモンゴルに帰ることとなったのです。
横綱白鵬関 帰国前日に開催された「さよならパーティー」に参加していた時、突然その会場に宮城野部屋の熊ケ谷親方から「入門の誘い」の電話があり、それで「やろう」と決めたのです。
  本当にギリギリのところでの決定だったんですよ。飛行機に乗る数時間前の出来事ですよ。両親へのおみやげも買って用意していたくらいですから(笑)。
 それも電話1本だけで決まってしまったんです。たったの数時間で人生が変わってしまったんですね。自分は運が良かったんだと思います。


横綱白鵬関
入門して間もない頃の白鵬関

■当時はどのような体格だったのですか?

 入門時は62㎏しかなく、周囲はとても心配していました。ですが、かつて活躍されていた関取も、当初は細身の人が多かったようですね。そして「稽古をして大きくなれ」という親方の教えに従って、毎日稽古に励むこととなったわけですが、とても辛かったですね。それにたくさん食べることも辛かったですよ。

■入門されて、相撲界のしきたりなどで戸惑ったことなどはありましたか?

横綱白鵬関 日本語がわからないうえに、あいさつや礼儀などの作法も違います。それに「年下なのに自分より先に入門していたら先輩になる」という独特の上下関係が理解できなかったですね。
 そこで、いろいろな習慣などを理解していくためには、やはり日本語を覚えることが先だと思い、先輩に言われて日本の歌で言葉を覚え始めました。
  言葉がわかってくると親方などが言っていることもわかってきて、環境にも慣れてきましたね。そして番付もだんだんと上がってきましたよ。

■横綱になられて心境の変化などはありましたか?

  大関に昇進した時に、元横綱の相撲解説者が「横綱になった人しかわからないものがある」と言っていたことがあり、それを聞いて「何を言っているんだ?」と思ったものですが、実際に横綱になってみると、その意味がわかりましたね。大関と横綱とはかなりの違いがありますね。昇進した当初は嬉しかったですが、今では「もう先がない」「負けたら引退の二文字しかない」というプレッシャーをものすごく感じます。
  しかし、今年3月の春場所で全勝優勝することができて、「自分は追い込まれたら強いんじゃないか?」と思ったりもしました。疲れましたが、良い経験をしましたよ。

■横浜などで行われる地方巡業についてですが、何か思い入れなどはありますか?

 巡業では、その先々で新たな発見や出会いがありますし、その場所の美味しいものを食べたりすることができます。それに、来てくれたお客さんも関取が笑って土俵に上がる姿を見られるなど、本場所とは違った文化に触れ合うことができますし、握手や写真撮影などで触れ合えたりすることができますしね。そういったところが巡業の良さだと思いますよ。

横綱白鵬関■横浜にはよくお越しになるとか…

 横浜場所はもちろんですが、それ以外でも部屋の後援会の関係などで年に数回来たりします。
 だいぶ前になりますが、港南区にある野庭聖佳幼稚園にも行ったこともありますね。運動会のもちつきに参加しましたよ。とても楽しかったですね。

 横浜でも相撲などの武道を教える機会があるようですね。とても良いことだと思います。こうした文化は忘れてはいけませんから。

横綱白鵬関
野庭聖佳幼稚園を訪れた時の白鵬関の貴重な写真。
「とても楽しかったです」とのご感想。

■最後に横浜で相撲に励む子供たちへ一言メッセージをお願いします

  夢を実現させるためには、時に我慢することも必要です。またご両親の言うことをしっかり聞くことも大切だと思います。そうすれば、少しずつ夢に近づいていくと思いますよ。たくさん稽古して、がんばって強くなってください!

横綱白鵬関今回、多忙なスケジュールの中にもかかわらず、SPORTSよこはま編集部のインタビューに終始にこやかに応じてくださった白鵬関。角界のトップたる威風堂々とした姿の中に、とても優しい一面を垣間見せてくださいました。過去に慣れない環境の中で多くの悩みを抱えながらも、計り知れないほどの努力で一つひとつを乗り越えてきた横綱の今後の活躍を大いに期待したいと思います。白鵬関!がんばってください!

白鵬関の手形付サイン色紙を3名の方にプレゼント!
ハガキに住所、氏名、年齢、電話番号、「SPORTSよこはま」へのご意見・ご感想をご記入のうえ、下記のあて先へお送りください(平成22年7月25日必着)。
〒231-0015 横浜市中区尾上町6-81 ニッセイ横浜尾上町ビル1階 横浜市スポーツ情報センター「白鵬関サイン」係まで
※個人情報の取扱いについては、こちらをご参照ください。

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スペシャルインタビュー
横綱白鵬関に聞く!横浜には年2〜3回は行きますよ。
巡業もありますし、横浜スタジアムで
始球式をやったこともありますし。
色々と思い出がありますね。

横綱白鵬関遠くモンゴルから来日し、懸命な努力のすえ現在の日本の相撲界をリードする第一人者となった横綱白鵬関。その横綱は、意外にもここ横浜と縁が深く、たびたび来浜されるとのこと。
今回、横綱に横浜との関わりや来日当初のエピソード、そして地方巡業への思いなどをお聞きしました。
土俵の上での闘志みなぎる表情とは違った、非常に穏和で優しい横綱の素顔を伺うことができました。

■日本で相撲を始めたきっかけは何だったのですか?

横綱白鵬関 私の出身国であるモンゴルにも相撲がありまして、そのモンゴル相撲の横綱だった父の背中をずっと見て育ってきたので、子どもの頃から「相撲をやりたい」と思っていたのです。ですが、周りから「相撲をやるにはまだ早すぎる」と言われて、代わりにバスケットボールをやっていました。
 15歳の時に、その当時活躍されていた旭鷲山関のお父様から、「日本に行って相撲の稽古をするのに参加しないか?」との誘いがあり、遊びの気持ちで来日しました。その時一緒に来日したのは7人だったのですが、うち3人は相撲部屋に入門することが決まり、私を含めた残りの4人はモンゴルに帰ることとなったのです。
横綱白鵬関 帰国前日に開催された「さよならパーティー」に参加していた時、突然その会場に宮城野部屋の熊ケ谷親方から「入門の誘い」の電話があり、それで「やろう」と決めたのです。
  本当にギリギリのところでの決定だったんですよ。飛行機に乗る数時間前の出来事ですよ。両親へのおみやげも買って用意していたくらいですから(笑)。
 それも電話1本だけで決まってしまったんです。たったの数時間で人生が変わってしまったんですね。自分は運が良かったんだと思います。


横綱白鵬関
入門して間もない頃の白鵬関

■当時はどのような体格だったのですか?

 入門時は62㎏しかなく、周囲はとても心配していました。ですが、かつて活躍されていた関取も、当初は細身の人が多かったようですね。そして「稽古をして大きくなれ」という親方の教えに従って、毎日稽古に励むこととなったわけですが、とても辛かったですね。それにたくさん食べることも辛かったですよ。

■入門されて、相撲界のしきたりなどで戸惑ったことなどはありましたか?

横綱白鵬関 日本語がわからないうえに、あいさつや礼儀などの作法も違います。それに「年下なのに自分より先に入門していたら先輩になる」という独特の上下関係が理解できなかったですね。
 そこで、いろいろな習慣などを理解していくためには、やはり日本語を覚えることが先だと思い、先輩に言われて日本の歌で言葉を覚え始めました。
  言葉がわかってくると親方などが言っていることもわかってきて、環境にも慣れてきましたね。そして番付もだんだんと上がってきましたよ。

■横綱になられて心境の変化などはありましたか?

  大関に昇進した時に、元横綱の相撲解説者が「横綱になった人しかわからないものがある」と言っていたことがあり、それを聞いて「何を言っているんだ?」と思ったものですが、実際に横綱になってみると、その意味がわかりましたね。大関と横綱とはかなりの違いがありますね。昇進した当初は嬉しかったですが、今では「もう先がない」「負けたら引退の二文字しかない」というプレッシャーをものすごく感じます。
  しかし、今年3月の春場所で全勝優勝することができて、「自分は追い込まれたら強いんじゃないか?」と思ったりもしました。疲れましたが、良い経験をしましたよ。

■横浜などで行われる地方巡業についてですが、何か思い入れなどはありますか?

 巡業では、その先々で新たな発見や出会いがありますし、その場所の美味しいものを食べたりすることができます。それに、来てくれたお客さんも関取が笑って土俵に上がる姿を見られるなど、本場所とは違った文化に触れ合うことができますし、握手や写真撮影などで触れ合えたりすることができますしね。そういったところが巡業の良さだと思いますよ。

横綱白鵬関■横浜にはよくお越しになるとか…

 横浜場所はもちろんですが、それ以外でも部屋の後援会の関係などで年に数回来たりします。
 だいぶ前になりますが、港南区にある野庭聖佳幼稚園にも行ったこともありますね。運動会のもちつきに参加しましたよ。とても楽しかったですね。

 横浜でも相撲などの武道を教える機会があるようですね。とても良いことだと思います。こうした文化は忘れてはいけませんから。

横綱白鵬関
野庭聖佳幼稚園を訪れた時の白鵬関の貴重な写真。
「とても楽しかったです」とのご感想。

■最後に横浜で相撲に励む子供たちへ一言メッセージをお願いします

  夢を実現させるためには、時に我慢することも必要です。またご両親の言うことをしっかり聞くことも大切だと思います。そうすれば、少しずつ夢に近づいていくと思いますよ。たくさん稽古して、がんばって強くなってください!

横綱白鵬関今回、多忙なスケジュールの中にもかかわらず、SPORTSよこはま編集部のインタビューに終始にこやかに応じてくださった白鵬関。角界のトップたる威風堂々とした姿の中に、とても優しい一面を垣間見せてくださいました。過去に慣れない環境の中で多くの悩みを抱えながらも、計り知れないほどの努力で一つひとつを乗り越えてきた横綱の今後の活躍を大いに期待したいと思います。白鵬関!がんばってください!

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