特集(2/5) | SPORTSよこはまVol.19 | ハマスポどっとコム
平成22年5月現在唯一の現役横綱である白鵬関は第69代横綱です。
過去に多くの横綱がいる中で、横浜出身の横綱がいることを皆さんはご存知でしたか?
●参考文献/『横浜スポーツ百年の歩み』
1935(昭和10)年5月20日、大相撲夏場所千秋楽でのこと。時の大関武藏山(むさしやま)は横綱玉錦(たまにしき)に敗れましたが、この場所は9勝2敗で準優勝という好成績を挙げました。場所後に開かれた大日本相撲協会の新番付編成会議は、満場一致をもって、武藏山を横綱に推薦することに決定し、同年11月22日に第33代横綱となりました。この時武藏山は25歳。この当時としては史上最年少の横綱、そして横浜が生んだ初めての横綱でした。
武藏山は1909(明治42)年12月5日に神奈川県橘樹郡日吉村駒林(現・横浜市港北区日吉本町)に生まれました。駒林小学校に通っていた当時から怪力で身長180cmあったことから、村で評判の小学生でした。
1924(大正13)年、第1回明治神宮競技大会に砲丸投げと相撲競技で出場して大活躍すると、出羽海部屋にスカウトされ、翌年11月に同部屋に入門。さらに翌年1月の春場所で初土俵を踏みました。入幕後は毎場所3つ以上負けたことがないという好成績で、小結から一躍大関に特進するという新記録を作りました。
初土俵から横綱になるまでの成績は124勝38敗2分1休、優勝1回(小結の時)、優勝同点3回の見事な土俵戦歴を誇りました。得意技は右四つからの下手投げと上手投げ。入幕してからのライバルは男女ノ川(みなのがわ)(第34代横綱)で、巨人同士の激突は毎場所屈指の好取組で人気を呼びました。
武藏山の横綱在位は5年8場所。この間故障などで思うように成績が残せず、不振のうちに1939(昭和14)年の5月場所限りで引退しました。横綱になってからの成績は15勝15敗でした。
かつての武藏山のように大相撲を沸かせる強い横綱が再びここ横浜から生まれるといいですね!
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平成22年5月現在唯一の現役横綱である白鵬関は第69代横綱です。
過去に多くの横綱がいる中で、横浜出身の横綱がいることを皆さんはご存知でしたか?
●参考文献/『横浜スポーツ百年の歩み』
1935(昭和10)年5月20日、大相撲夏場所千秋楽でのこと。時の大関武藏山(むさしやま)は横綱玉錦(たまにしき)に敗れましたが、この場所は9勝2敗で準優勝という好成績を挙げました。場所後に開かれた大日本相撲協会の新番付編成会議は、満場一致をもって、武藏山を横綱に推薦することに決定し、同年11月22日に第33代横綱となりました。この時武藏山は25歳。この当時としては史上最年少の横綱、そして横浜が生んだ初めての横綱でした。
武藏山は1909(明治42)年12月5日に神奈川県橘樹郡日吉村駒林(現・横浜市港北区日吉本町)に生まれました。駒林小学校に通っていた当時から怪力で身長180cmあったことから、村で評判の小学生でした。
1924(大正13)年、第1回明治神宮競技大会に砲丸投げと相撲競技で出場して大活躍すると、出羽海部屋にスカウトされ、翌年11月に同部屋に入門。さらに翌年1月の春場所で初土俵を踏みました。入幕後は毎場所3つ以上負けたことがないという好成績で、小結から一躍大関に特進するという新記録を作りました。
初土俵から横綱になるまでの成績は124勝38敗2分1休、優勝1回(小結の時)、優勝同点3回の見事な土俵戦歴を誇りました。得意技は右四つからの下手投げと上手投げ。入幕してからのライバルは男女ノ川(みなのがわ)(第34代横綱)で、巨人同士の激突は毎場所屈指の好取組で人気を呼びました。
武藏山の横綱在位は5年8場所。この間故障などで思うように成績が残せず、不振のうちに1939(昭和14)年の5月場所限りで引退しました。横綱になってからの成績は15勝15敗でした。
かつての武藏山のように大相撲を沸かせる強い横綱が再びここ横浜から生まれるといいですね!