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    イベントレポート

横浜フィーバーよ、再び 〜 横浜高校野球部の新たなる戦い

by :千葉 陽子

 球春到来。WBCを控え野球熱が高まる中、3月21日に高校野球の第81回選抜大会が甲子園で開幕する。神奈川県内に目を向けると、3月26日に春季大会地区予選、そして4月に入ると春季県大会が始まる。高校球児にとって「最後の夏」、8月に灼熱の甲子園に立つことを目指して、各チームは地道な練習に励んでいる。

 今回は神奈川の高校野球の最高峰の存在と言える、横浜高校野球部を訪ねた。“横浜フィーバー”の再来を目指して前進するチームの今をお伝えする。

横浜高校長浜グラウンドには、野球部の歴史が刻まれている。【右】は1995年、志半ばにして亡くなった当時のエース・丹波慎也投手のレリーフ

横浜高校野球部2008年の主な戦跡

3月 第80回選抜大会(甲子園) : 初戦敗退

8月 第90回選手権大会(甲子園) : ベスト4敗退

〜3年生引退・新チーム始動〜

9月 秋季県大会 : 3回戦敗退

40年以上に渡りチームの指揮を執る名将・渡辺元智監督

 今から11年前の1998年。横浜がエースの松坂大輔投手(ボストン・レッドソックス)を中心に、高校野球史上初の4冠(明治神宮大会、選抜大会、選手権大会、国体)を達成したことをご記憶の方も多いだろう。チームを率いるのは、高校野球ファンならずともお馴染みの渡辺元智監督だ。1965年に野球部コーチ、2年後に監督に就任してから一貫してチームと共に歩んできた。

 「昔はどちらかと言えば、甲子園を目指すことも私自身のため。自分の生き様を高校野球にぶつけていました。しかし今は、野球を通して何とか選手たちを良くしたい。甲子園へ行かせてあげたい。嘘偽りなく思っています」。そう静かに語る渡辺監督。

 「野球を通して人生の勝利者になってほしい」。渡辺監督はこの言葉で常に選手にエールを送っている。誰もが一生野球を続けるわけではない。「高校野球とは、若いエネルギーが可能性を全部ぶつけて戦う。練習は本当につらいけれど、その日々は必ず生かされるのです」。勝っても負けても、選手たちのひたむきな姿は見る人の心をつかむ。その達成感は必ずや、彼らの後の人生の支えになるのだろう。

ピンと張り詰めた空気の中、鋭い眼差しを選手たちに注ぐ渡辺監督

 渡辺監督曰く、「特徴がないのが特徴」の新チーム。春夏甲子園出場を果たした先輩たちに負けじと、選手たちはひたすらにボールを追い続けている。

key person1 筒香嘉智(つつごう・よしとも)主将(2年・内野手・和歌山県出身)

 

 強豪・横浜で1年生からレギュラーに。昨年夏の甲子園では清原和博さん(元PL学園)以来、24年ぶり3人目の3本塁打という大会記録を残し、打率.526の大活躍。渡辺監督は、「筒香は口下手で寡黙なので、技術ですごい部分を見せて引っ張っていくタイプですね」と新キャプテンに期待を寄せる。

横高野球部史上にその名を残すであろう、スラッガー・筒香嘉智主将

 筒香選手が地元、関西の強豪校ではなく横浜に進学したのは、松坂投手の存在が大きい。「小学生の時、自宅から甲子園が近かったので、松坂さんの試合を観に行きました。その時に強い横浜を見て、ここで野球がやりたいと憧れたのです」。

 夢叶え、現在はキャプテン、そして4番打者として重責を担う。「(渡辺)監督は初めてお会いした時、かなりオーラがあって近寄りがたかった。今は厳しい時もありますが、練習が終わると声を掛けてくださったり、すごい指導者の方と出会えて自分は幸せと毎日思っています」。

 チームの合言葉は「打倒・慶應」だ。「僕たちは最後の夏に向かってひとつになっていくだけ。自分が先頭に立って見本を示して、チームに貢献するバッティングができるように心掛けます」。

 言葉よりも姿勢で引っ張る。キャプテンの挑戦は始まっている。

渡辺監督と二人三脚で野球部を支える小倉清一郎部長【左】のげきが飛ぶ

key person2  近江直裕投手(2年・埼玉県出身)小田太平捕手(2年・静岡県出身)のバッテリー

 松坂投手、涌井秀章投手(西武ライオンズ)、そして昨年甲子園を沸かせた土屋健二投手(日本ハム)…。「横浜の歴史の積み重ね」と渡辺監督が明かす「背番号1」。土屋投手からエースの称号を引き継いだのは近江投手だ。「歴代のピッチャーはすごい人ばかり。背番号1は重いけれど、エースの名に恥じない気持ちで投げています」。

 横浜の投手陣はレギュラーを懸けて、チーム内の競争も熾烈だ。たとえエースナンバーを与えられても、その座に甘んじることはできない。その事実を近江投手は重々承知している。「(前エース)土屋さんはグラウンドに人一倍早く来て練習していた。率先して取り組むのがエース、自分もそうなりたい」。監督、チームの信頼を勝ち取るために近江投手の戦いは続く。

秋季県大会のリベンジを果たしたいバッテリー。近江投手【左】と小田捕手【右】

 

 そして、「キャッチャーは要。守備ではすべてのポジションがキャッチャーを向いているのだから、監督、コーチの役割を果たさなければならない」と、渡辺監督が熱い視線を送るのは小田捕手だ。

 「少しおとなしい」というチームの中で、小田捕手も言葉よりプレーで表現する選手。昨年は甲子園のすべての試合でスタメンマスクをかぶった。「秋の県大会は甲子園後の気の緩みが出てしまった。甲子園はまたすぐに行きたくなる場所。夏の全国制覇を目標に、日々の練習を積み重ねていきたい」。悔しい思いを糧に監督の期待に応えたい、小田捕手だ。

松坂投手はじめ、歴代のエースがこのブルペンから巣立った。渡辺監督の指導にも熱が入る【右】

key person3 大石竜太選手(1年・内野手・神奈川県出身)

 1年生ながら、昨年夏にレギュラーの座を確かなものにした大石選手。「甲子園の経験は大きな財産ですが、それは昨年のこと。その経験を生かさなければ行った意味がなくなってしまう」。神奈川に横浜あり。それを夏は証明したいと力を込める姿に、野球に対する情熱が伝わってくる。

昨年夏の選手権大会では全試合フル出場。チームの中核を担う大石竜太選手

 「物心がつく前から野球をやっていた」大石選手は3人兄弟の末っ子。大石選手の2歳上の兄・康太さんは昨年の桐光学園野球部のキャプテンだ。康太さんの友人が横浜の前副キャプテンの松本幸一郎選手。その縁もあってのことか、大石選手にとって、「自分が今あるのは松本さんのおかげ」と心底から尊敬する存在だ。松本選手と康太さんは、今春から共に立教大学に進む。

 「兄貴は小さい頃からずっと仲が良くて、直接言葉を掛けられなくても応援してくれているのが分かる。だから、自分は負けるわけにはいかない」。今までの野球人生に大きな影響を与えられた兄、そして憧れの先輩の思いを受けて、大石選手はチームの中核としてさらに飛躍を誓う。「今年は横高らしくないかもしれませんが、気合の野球。気持ちを前面に出して、チーム一丸で戦います」。そう言い切る姿が頼もしい。

冬の寒さに耐えながら、毎夜19時過ぎまで練習は続く。練習後、金沢スポーツセンターで自主トレを行う選手もいる

 40年以上の監督としての野球人生で、常に「横浜市」を意識してきた渡辺監督。「町を歩けば頑張れと声を掛けていただくし、横浜市に対する思いは人一倍強いですね」。渡辺監督にとって「生きる糧」、甲子園を目指して、まずは春の県大会が控える。「横浜ベイスターズ、日産自動車、そして横浜高校が優勝した1998年の再現が期待できるように頑張ります。市民の皆さまにもご声援を送っていただきたいですね」。

 この春、名門・横浜の新たなスタートから目が離せない。

長浜グラウンド入口にある第78回選抜優勝記念碑【左】、松坂投手の記念碑【右】。今年の正月には松坂投手が後輩を激励に訪れた

※選手の学年は3月4日現在

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