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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.90「世界陸上リレー」

  

 8月12日(土)世界陸上ロンドン大会男子4×100mリレーで世界陸上史上初のメダルを獲得しました。

 

 今回は、なかなか大変でした。バトンパスワークに乱れが出たり、予選と決勝でメンバーを替えたりと、困難、苦難を乗り越えてのメダル獲得でした。バトンの不安は2か所。今回リレー日本代表初参戦の多田選手(関西学院大)とケンブリッジ選手(ナイキ)のところでした。また、サニブラウン選手(フロリダ大)は、事前合宿でもバトンがうまくいっていませんでした。
 さらにサニブラウン選手は100m、200mの個人種目を終え、脚に故障を抱えてしまいました。200m7位入賞の代償は、かなり大きかったです。
 サニブラウン選手のバトンパスは、不安はあったもののその走力は大変魅力で、もし万全の状況だったらサニブラウン選手を使っていたかもしれません。

 

 

 

 

 12日午前中の予選。日本は2組目。多田‐飯塚(ミズノ)‐桐生(東洋大)‐ケンブリッジのメンバーで臨みました。結果は38秒21の組3着で決勝進出を決めました。

 

 午後行われる決勝。我々は不安を抱えていました。決勝に進出したチームの中で38秒21は6番目。このままではメダルに届きません。「攻めるパス」にする必要がありました。また、4走ケンブリッジ選手の走りが精彩にかけていたことから、メンバーの変更も検討しなくてはなりませんでした。メディアには発表していませんでしたが、ケンブリッジ選手は、実のところ体調がすぐれず100mが終わってから腹痛と発熱があったのです。リレー予選になんとか間に合わせたという感じだったのです。

 

 予選と決勝でメンバーを変更するのは、リスクがあります。替えるべきか替えないほうが良いか悩みました。悩んだ結果、メンバー変更に踏み切ることにしました。我々は「かけ」にでたのです。4走アンカーをケンブリッジ選手から藤光選手(ゼンリン)に変更しました。メダルを狙いにいきます。これでだめなら終了。それでもいい。4番、5番は要らないと。

 そして我々の判断は的中。38秒04で銅メダルを獲得しました。攻めのパスもはまりました。

 

 日本のバトンパスは、アンダーハンドパスを採用しています。日本のバトンパスのテーマは「美しいバトンパス」です。川の流れのようにスムースに途切れなく。

 

 

 

 バトンパスの方法は大きく分けると、オーバーハンドパスとアンダーハンドパスがあります。オーバーハンドパスは、押し出すようなプッシュタイプと上から渡すダウンスイープというタイプがあります。学校体育で指導しているのはオーバーハンドパスなので、皆さんにはオーバーハンドパスのほうが、なじみが深いかもしれません。日本代表チームはアンダーハンドパスを採用していますが、下から救い上げるように出すアップスイープではなく、少し変わった形でパスをしています。日本独自のやり方だと思います(図)。

 

 

 

 このアンダーハンドパスは、新しい技術と思われている方が多いと思いますが、実は旧式のパスなのです。1964年東京・オリンピックでは、決勝に残ったすべてのチームがアンダーハンドパスを採用していました。

 

 では、いつからオーバーハンドパスに移行したのでしょうか。東京オリンピックの次は1968年メキシコ・オリンピックです。この時はまだ、アンダーハンドでした。1972年ミュンヘン・オリンピックもアンダーハンド。1976年モントリオール・オリンピックは、アメリカチームがオーバーハンドパスをしています。しかし、旧ソ連や東ドイツなどはまだアンダーハンドパスです。1975年のリレーの映像で、アメリカチームがオーバーハンドパスをしている映像が残っています。ですから、1973年から75年の期間くらいに、アメリカでオーバーハンドパスが採用されたと予測されます。

 

 1992年バルセロナ・オリンピックのときには、日本を含めほとんどの国がオーバーハンドパスを採用しています。そのなかで、フランスチームだけがアンダーハンドパスを継続していました。フランスチームはこのアンダーハンドパスで、1990年に4×100mリレーの世界記録を樹立したことがあります。この世界記録は、1年でアメリカに破られてしまいましたが、フランスはこのアンダーハンドパスにこだわり続け、現在も男女ともに代表チームはアンダーハンドパスを採用しています。

 

 日本がアンダーハンドパスを採用したのは、2001年エドモントンの世界陸上からです。当時の短距離部長で400mの日本記録保持者である、高野進先生(東海大学)が突然に変更を提案しました。「アンダーハンドパスのほうが理にかなっている」と。選手たちもその提案を受け入れました。しかし、今聞くと驚かれるかもしれませんが、当時アンダーハンドパスは認知されていなかったことから、外部から多くの批判をあびました。2008年北京・オリンピックで銅メダルを獲得するくらいまでは、批判はなくなりませんでしたね。しかし、2001年からの日本リレーチームの世界大会での成績をみれば、アンダーハンドパスの採用は間違いではなかったことがわかると思います。

 

 そして今、アンダーハンドパスは日本の武器となり、マイナーチェンジを繰り返し今の形となっていきました。今ではフランスチームとともに、アンダーハンドパスを採用する代表的なチームとして、世界に認められるようになりました。

 

 さて、日本ではパスばかりが注目されていますが、もちろんパスだけでは勝つことはできません。個人の走力が重要です。あくまでパスは、その走力をつないでいるだけにすぎません。走力ありきです。走っている4人は、10秒0台の日本の誇る最速スプリンターたちです。足は遅いけどパスで勝っているという評価は、あまりうれしくはありません。

 

 走力が上がれば、パスのスピードも上がります。日本が頂点に立つためには、個人の走力をあげる必要があります。100m9秒台の選手の出現が待たれます。と、書いていたら出ました。桐生選手9秒98!!なんと9月9日(土)で9の日。大会は、福井で開催された日本学生陸上競技選手権です。次回この歴史的快挙をコラムにしますね。いやー、良かった!!

 

 最後に、リレーのパスは、アンダーハンドパスが必ず良いというわけではありません。オーバーハンドパスのほうが効果を発揮することももちろんあります。むしろ、オーバーハンドパスのほうが使用頻度は多いかもしれません。チームの編成や走力などを考慮してパスの仕方を選択してください!

 

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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