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元オリンピック陸上選手苅部俊二のダッシュ

vol.2 「競技の歴史」

 5月2日(日)高校生の陸上競技大会をみに三ツ沢陸上競技場に行ってきました。この大会は、7月28日から8月2日まで沖縄で開催される全国高校総体、通称インターハイの横浜支部予選会です。インターハイに出場するには、この支部大会を通過して、5月中旬の神奈川県大会で6位に入賞して、さらに6月中旬に茨城で開催される南関東大会で6位に入らなければなりません。長い道のりです。私も高校の時はこの三ツ沢競技場でインターハイへ向けてスタートしました。実は高校1年生の時はこの横浜支部予選で敗退し、県大会にすら出られませんでした…。


インターハイ横浜支部予選会会場(三ツ沢陸上競技場)

 陸上競技はオリンピックの花形競技ですが、皆さんは、陸上競技の大会はいつごろから開催されていたと思いますか?ちなみにインターハイは1963年から開催されています。三ツ沢競技場でも1981年に開催されています。日本一を決める陸上競技の日本選手権はさらにさかのぼり、1913年から行われていて、今年で94回目を迎えます。しかし、世界でみると陸上競技の歴史は古く100年どころではありません。紀元前にまでさかのぼってしまいます。走るという人間の基本となる運動様式は、労働や軍事、さらには祭事として競われてきました。教科書にも載っている古代のエジプトやオリエントなどの古代遺跡から競技している様子を描いた壺や、絵画、土偶などが出土していることからもその歴史は古いことがわかりますよね。


競技している様子を描いた古代の壺

 アイルランドのミース州、ティルティンでは紀元前1829年から紀元554年までの約2300年もの間、競技会が行われていたという記録が残っています。この競技会は「ティルティンの競技会」や「リューナーサ祭の競技会」と呼ばれ、短距離走はもちろん、砲丸投げやハンマー投げに似た種目も行われていたようです。また、現在4年に一度開催されているオリンピックもその前身は紀元前776年からギリシアで開催されていた古代競技会によります。現在開催されているオリンピックと区別するため、「古代オリンピック」と呼ばれていますが、こちらも今のオリンピックと同じく4年に一度行われていました。

 第1回の古代オリンピックは直線の短距離走「スタディオン走」が行われました。1スタディオンは競技場によって距離がまちまちだったようで、オリンピアでは192.27m、アテネでは184.30m、デルフィーでは177.35mなどでした。第1回はスタディオン走だけでしたが、その後、中距離走や長距離走、幅跳び、やり投げ、円盤投げ、また、陸上競技と並んで、ボクシングやレスリングなども開催されています。戦車競走なんていうのもありました。走・跳・投は人間の基本的な運動様式で生活の基礎でもあります。陸上運動すなわち生活、生きていくために最も必要な要素だったのです。ここでの優勝者はきっと英雄だったのでしょうね。

 ヨーロッパでは他にも紀元前からいくつかの競技大会が開催されていましたが、現在の陸上競技の源流となったのは先に書いた「ティルティンの競技会」のようです。この「ティルティンの競技会」は、中世以降になってからもスコットランド地方で民族競技として続けられていました。そして、19世紀に入ると、イギリスの学校で陸上競技の種目として行われるようになり、現在の形となっていったと考えられています。記録に残っているもっとも古い短距離競走は、1845年のイギリスのイートン校の100ヤード競走で、10秒5という記録が残っています。100ヤードは91.4mですから、100mに換算すると11秒4くらいですね。11秒4だとインターハイには行けませんね。

 日本での陸上競技会は、1883年(明治25年)頃から大学の運動会として開催され始め、1890年(明治32年)には官立学校招待競技会が開催されたという記録が残っています。


2004年アテネオリンピック マラソンゴールの会場
この競技場は第1回オリンピックが開催された競技場です。

 陸上競技は、古代オリンピックや古代競技会から多少形は変わっても現在と同じような競技が開催されていました。種目の歴史を追ってみるのは面白いです。かつて中距離走は右回りで行われていたこともありましたし、ハードルの高さもどうして106.7cmなのかなどひも解いていくのも興味深いですよね。ちなみに「羊飼いの囲いの高さ」と言われています。またいつか紹介したいと思います。

 さて、話はもどり、五月晴れの中、三ツ沢競技場での大会では熱戦が繰り広げられていました。私は、世界大会や日本代表クラスの大会を観ることのほうが多いのでとても新鮮でした。私もここからスタートしたんですよね。高校1年生では支部予選敗退でしたが、2年生の時はインターハイに出場できました。
 がむしゃらで純粋、かつて古代の人もそうだったのでしょうね。

苅部俊二 プロフィール

1969年5月8日生まれ、横浜市南区出身。

元オリンピック陸上競技選手。横浜市立南高等学校から法政大学経済学部、富士通、筑波大学大学院で競技生活を送る。

現在は法政大学スポーツ健康学部教授 コーチ学(スポーツ心理学) 同大学陸上競技部監督 法政アスリート倶楽部代表 日本陸上競技連盟強化委員会ディレクター兼オリンピック強化コーチ(ハードル)。

2007年から日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長を務め、世界選手権(2007大阪、2009ベルリン、2011大邱、2015北京、2019ドーハ)、オリンピック(2008北京、2012ロンドン)に帯同。

また、2014年には日本陸上競技連盟の男子短距離部長へ復帰し2016リオデジャネイロオリンピックに帯同し、日本短距離男子チームの責任者として同行した。

1990年代を代表する陸上競技者として活躍。1996年のアトランタと2000年のシドニーオリンピックに出場、世界室内陸上競技選手権大会400mで銅メダルを獲得するなどの活躍を見せた。元400mハードル日本記録保持者。

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