| 今からもう11年前の1998年、ハマの大魔神こと佐々木主浩投手たちの活躍で横浜ベイスターズが38年ぶりに日本一に輝いたね。 | ![]() |

日本野球史にその名を刻んできた横浜スタジアム【左】 1998年のチャンピオンフラッグ(横浜スタジアム内カフェ・ビクトリーコート展示)【右】
横浜スタジアムはアマチュア野球のメッカでもあり、野球のシーズンオフには日本社会人アメリカンフットボール Xリーグの会場になるんだ。
スポーツだけでなく、コンサートだって行われるよ。
一年中大活躍の横浜スタジアムが、昭和53年(1978)に日本初の多目的スタジアムとしてオープンするまでの、歴史をたどってみよう!

日本初の多目的スタジアム。6基の照明灯【右】は、YOKOHAMAの頭文字Yをイメージしているよ
明治9年(1876)、現在の横浜公園がある場所に、居留外国人と日本人のための洋式公園として、横浜彼我(ひが)公園が完成!
そして明治29年(1896)5月23日、園内の球技場で記念すべき日本初の国際野球試合が行われたよ。
対戦したのは旧制第一高等学校(現・東京大学)と横浜外国人クラブ。
2試合を戦って、いずれも一高が大勝したよ!
明治42年(1909)、不平等条約の改正で外国人居留地制度が廃止されたため、彼我公園は横浜市の管理のもと、横浜公園になったんだ。
大正12年(1923)9月1日、関東大震災が起こった時は、横浜公園には被災者のための避難施設が設けられたんだ。
そして昭和4年(1929)3月10日、復興事業の一環として「横浜公園球場」が誕生したんだ!
こけら落としの試合は3月23日の早慶新人戦で、15,000人の観客が詰め掛けてスタンドは満員になったよ!
横浜公園噴水【左】 横浜公園スタンド【右】(横浜公園運動場開場記念写真)/「横浜スポーツ百年の歩み」より

市民の憩いの場となっている現在の横浜公園。園内の噴水は長い歴史を見つめてきたんだね!
昭和9年(1934)にはすごーい出来事があったんだ!
11月2日、なんと米大リーグオールスターチームのベーブ・ルースやルー・ゲーリックら14人の選手が、豪華客船「エム・ジャパン」号に乗って横浜港にやって来たよ!
彼らは日本各地の球場で、全日本チームと18試合を戦ったんだ。
横浜公園球場に登場したのは11月18日。
結果は5本のホームランを打った米大リーグが21-4で圧勝!
75年前の“日米対決”は、18戦全勝の米大リーグに軍配が上がったよ。
時を経て…ワールド・ベースボール・クラシックで連覇を達成した日本の野球は、今や世界のトップレベルに成長したんだね!

全米軍メンバー、前から2人目がベーブ・ルース(昭和日本史16、スポーツ五十年)/「横浜スポーツ百年の歩み」より【左】 横浜スタジアムに展示されている当時の写真【右】

外野のレフトスタンドにはベーブ・ルース【左】、ライトスタンドにはルー・ゲーリック【右】のレリーフがあるよ。野球観戦の時、探してみてね!
やがて横浜公園球場に、第二次世界大戦の影響が及んでしまう。
昭和18年(1943)にはすべての野球大会が中止、横浜公園球場は軍隊に接収されて捕虜収容所になってしまった。
そして昭和20年(1945)8月15日の終戦後は、米軍に接収されたんだ。
その名も「ゲーリック球場」と改名されて、米軍専用球場になった。
その状況下で翌年(昭和21年)ゲーリック球場には、日本ではじめての夜間照明灯が完成したよ。
ゲーリック球場を日本人がはじめて使用することができた日は、その年の9月19日のこと。
「ハマの早慶戦」と呼ばれた、横浜高工(現・横浜国大工学部)と横浜高商(現・横浜国大経済学部)の定期戦で、戦争による中断期間を乗り越えて、3年ぶりに復活したんだ。
そして日本人がはじめてナイターを行ったのは、昭和23年(1948)6月14日の立教大学と慶應大学の親善試合だった。
これをきっかけに8月17日、遂にプロ野球初のナイターとして巨人対中日戦が行われたよ!
定期戦当日のゲーリック球場【左】 復活した浜の早慶戦の速報・昭和22年【右】(定期野球戦史)/「横浜スポーツ百年の歩み」より
そして昭和27年(1952)4月1日、日米安全保障条約の発効を前にして、ゲーリック球場は横浜市に返還されて「平和球場」と改名されたよ。
しかし球場は老朽化が激しく、昭和45年(1970)にはスタンドの上半分が使用禁止、収容人員も半分に減ってしまったんだ。
そこでプロ野球を呼ぶことができる野球場再建を目指して、横浜野球協会の山口久像会長(後の横浜スタジアム初代社長)たちによって署名運動が行われて、約186,000人の署名が集まった。
同時に、当時川崎球場が本拠地だった大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)の横浜移転が決定したんだ!

横浜公園内にあった平和球場とフライヤージム(市民グラフヨコハマ№57)/「横浜スポーツ百年の歩み」より【左】 この人なくして、横浜スタジアムは存在しなかった。山口久像社長のモニュメント(横浜スタジアム)【右】
昭和52年(1977)2月、株式会社横浜スタジアムが設立されて、4月にいよいよ新球場の工事がスタートした。
そしてわずか1年の突貫工事で昭和53年(1978)3月、横浜大洋ホエールズの本拠地として、遂に横浜スタジアムが完成したよ!
こけら落としは4月4日の横浜大洋対巨人の開幕戦。
エース・斉藤明夫投手の完投勝利で、4―1で前年セ・リーグ覇者の巨人を敗った横浜大洋。
横浜市民が待ちに待った地元のプロ野球チームの初勝利に、横浜スタジアムは歓喜に包まれたのだろうね!
横浜が沸いた!横浜スタジアム開設当時の様子を伝える写真/「横浜スポーツ百年の歩み」より

横浜スタジアム内カフェ・ビクトリーコートには、大洋ホエールズ時代からの歴代ユニフォームが展示されているよ!
平成20年(2008年)に開場30周年を迎えた横浜スタジアム。
“浜スタ”はこれからも球史にドラマを刻んでいくよ!
【取材協力】横浜スタジアム
【参考文献】横浜スタジアム物語(かなしん出版)
かもめの「ちょっと教えて!横浜今昔物語」
横浜開港150周年の今年、メモリアルな試合が誕生するといいですね!

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