トップ > 読む > キャプテンわんと学ぶヨコハマスポーツ史

メニューへジャンプ 本文へジャンプ
本文の開始
横浜スポーツ史
[2009年4月16日Up]
Vol.10 横浜からゴルフの未来へホールインワン! ~ゴルフの歴史

4月、新しいスタートだね!
Jリーグやプロ野球が開幕して、いよいよスポーツの季節が到来!
ゴルフ界では17歳の石川遼選手が日本人史上最年少、世界でも2番目の年少記録でマスターズ出場を果たしたね。
石川選手の活躍で、ゴルフに注目する人も増えたのではないかな?
歴史をたどると、横浜とゴルフは深~い関わりがあるんだよ。

  

日本初の18ホールのチャンピオンシップコースが作られた程ヶ谷カントリー倶楽部・旭区



明治39年(1906)、日本で3番目、関東で最初のゴルフ倶楽部「日本レースクラブ・ゴルフィング・アソシエーション」が横浜市本牧の根岸競馬場内に誕生したよ。

やがて日本初の18ホールの本格的なチャンピオンシップコースが、横浜に作られたんだ。

それは…大正11年(1922)に発足した程ヶ谷カントリー倶楽部だよ!

10月15日に前半の9ホールが開場して、翌大正12年(1923)4月22日、ついに18ホールが完成!

場所は現在の横浜国立大学キャンパス敷地(保土ヶ谷区常盤台)あたりで、森村市左衛門さんや井上準之助さんら、政財界で活躍していた20人のメンバーの尽力によって実現したよ。

倶楽部の歴史は緑豊かな旭区の一角で、今もなお受け継がれているよ(昭和42年に保土ヶ谷区から移転)。

      

旧クラブハウス・保土ヶ谷区(「程ヶ谷二十年」)〔「横浜スポーツ百年の歩み」より〕【左】 現クラブハウス・旭区【右】

  

クラブ発足時に携わった井上準之助氏【左】、森村市左衛門氏【右】のレリーフ



大正12年(1923)9月1日の関東大震災によるコース、クラブハウス損傷の被害を乗り越えて、大正13年(1924)に程ヶ谷カントリー倶楽部の会員数は389人に上った。

外国人居留地が置かれた横浜らしく、34人の外国人会員も所属していたよ。

当時は舶来のゴルフボールが高価だったため、ロストボールを探すのに時間がかかって、1ラウンドに4時間から5時間もかかったんだ。

大正11年10月開場当時のコース・保土ヶ谷区(「程ヶ谷二十年」)〔「横浜スポーツ百年の歩み」より〕

    

美しい自然に囲まれた現在のコース・旭区



昭和2年(1927)5月28、29日には、日本最初の72ホール・コンペティションとなった第1回日本オープンゴルフ選手権大会が、程ヶ谷カントリー倶楽部で開催されたよ。

その後日本オープンゴルフ選手権は毎年恒例になって(第二次世界大戦などの影響による中断期間を除く)、日本のトッププロ選手とトップアマチュア選手が出場する、プロゴルフメジャー大会のひとつに発展したんだ。

現在は開催する都道府県を変更して毎年秋に行い、今年の10月には第74回大会が開催される予定だよ。

全日本オープンゴルフ選手権の初代チャンピオン・赤星六郎氏【左】。【右】は堀籠乕之介氏(「程ヶ谷二十年」)〔「横浜スポーツ百年の歩み」より〕



程ヶ谷カントリー倶楽部に最大の危機が訪れたのは、昭和16年(1941)のこと。

第2次世界大戦の最中に、クラブハウスの焼失やキャディーの廃止、芝の供出(飛行場用)などの影響が及んでしまったんだ。昭和20年(1945)、戦局が悪化してコースが閉鎖され、遂にアメリカ軍に接収されてしまう。

苦難の時を乗り越えて、戦後の昭和27年(1952)、接収が解除されて翌年にはクラブハウスが再建されたんだ。

やがて昭和32年(1957)10月24日から4日間、埼玉県・霞ヶ関カンツリー倶楽部でカナダカップ(現在のワールドカップ)第5回大会が開催された。

この大会で優勝したのが、程ヶ谷カントリー倶楽部で育った選手たちだったんだ!

横浜市出身の中村寅吉プロ、そして小野光一プロの日本チームが団体優勝を飾り、中村プロは個人でも優勝。

見事に2冠を達成したよ!

日本人選手の活躍によって、ゴルフ人口は一気に増加したよ。

昭和32年カナダカップで優勝した中村寅吉プロ、小野光一プロ(程ヶ谷カントリー倶楽部提供)



このように横浜の地に誕生したゴルフクラブは、一般市民にゴルフが広まるきっかけとなる存在になったんだ。これから皆さんがゴルフを観戦したり、実際にプレーする時、少しでも思い出してくれたら嬉しいな!

    

現コースにある練習場・旭区【左】 旧コース(保土ヶ谷区)から運んできたイチョウの木。クラブの歴史を見つめてきたのだね!【右】

    

季節ごとに美しい花が咲き誇る程ヶ谷カントリー倶楽部・旭区。ゴルフを愛する人、そして地元の人に支えられているよ

【取材協力】程ヶ谷カントリー倶楽部



かもめの「ちょっと教えて!横浜今昔物語」

 

日本のゴルフ史にその名を刻んできた程ヶ谷カントリー倶楽部ですが、昭和28年(1953)に社団法人になって以降、地域に貢献するゴルフクラブの役割も担っています。市民ゴルフ大会や、地元の高校のゴルフ大会の会場としてコースを提供したり、毎年春や秋の気候の良い時期に幼稚園の園外保育に開放したり…。社会の変化に即応して、倶楽部の在り方も変わってきました。
とは言え、いつの世もゴルフを楽しんでもらうことが倶楽部の大きな目的です。「ゴルフは紳士のスポーツ」という言葉がありますが、同伴者の良いプレーは共に喜び、窮地に陥った時は共に悲しむ、そんな気持ちを持ってプレーすることも大切かもしれませんね。
カモメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

     

 

     

 

     

 

     

 

     

 

     

 

   

 

 




トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hamaspo.com/historyblog/tb/bmid_2009041616411300023




ページトップへ

ページの終了