暑い、暑い夏が終わり、実りの秋がやって来たよ!
秋といえば…そう、運動会の季節だね。
ところで運動会って一体いつから行われるようになったんだろう?
そこで今回は、横浜の運動会の歴史をたどってタイムスリップ!
日本ではじめての運動会は明治7年(1874)3月、東京築地の海軍兵学校でイギリス人英語教師、ストレンジの指導により行われた「
それから12年後の明治19年(1886)5月30日、現在の桜木町駅近くの内田町の原っぱで、横浜小学校の子どもたちが綱引きや徒競走を頑張っている姿を発見…これこそ横浜で一番最初の運動会だよ!
さらに明治21年(1888)から、神奈川県師範学校(小学校教員を養成するための、現在の横浜国立大学教育人間科学部の前身となった学校)が毎年秋に運動会を開くようになったり、次第に広まっていったんだ。
しかしその後の運動会は、明治27年(1894)に起こった日清戦争(日本と清朝中国の戦争)の影響を受け、海戦や陸戦をまねた種目も行われていたんだ。
運動会のような晴れ舞台で、女の子はちりめんの三枚重ねの小袖を着るものだったけれど、横浜小学校では校長先生の考えで、ぜいたくを慎んで木綿の衣で参加したよ。
子どもたちが待ちに待った運動会なのに、戦争の影響を受けてしまったんだ。 
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)
(「横浜スポーツ百年の歩み」より) そして僕は運動会がどうやって発展したのか気になり、もう少し先の時代に出掛けてみたよ!
明治43年(1910)年10月20日、横浜公園(今の横浜スタジアムがあるところ)で元街小学校の運動会が行われていた。
この日、子どもたちはまず学校に集合して、学年順に整列。午前8時になると中隊を先頭に行軍ラッパを響かせて、横浜公園まで行進したんだ。
披露された演技は63種目、中でも観客を感動させたのは、高等科の女子生徒たちの「
「
その美しい演技は新聞でも賞賛された!
高等科の男子生徒が披露した「 
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)
今では自分たちの小学校の校庭で当たり前のように運動会ができるけれど、僕が訪ねた明治時代は校庭が狭かったり、他に良い場所が見つからなくて運動会が開けない小学校もあったんだ。
栄区の古い小学校のひとつ、千秀小学校も運動会をなかなか開くことができなかった。
そんな中、明治44年(1911)、東海道戸塚宿の寺子屋の後身である戸塚小学校で、連合運動会が開かれたんだ。
そしてこの時、千秀小学校の子どもたちは、念願の運動会にやっと参加することができたんだ。
子どもたちは信号体操(赤と白の旗を持って言葉を描く体操)を披露して、たくさんの拍手を浴びていたよ!
みんなちょっぴり恥ずかしそうだったけれど、嬉しかっただろうなあ。

(「横浜スポーツ百年の歩み」より)
さあ、これから運動会のみんな、クラスの仲間たちと楽しい思い出をたくさん作ってね!
僕も運動会の助っ人を頼まれるかもしれないから(!?)体を鍛えておかなくっちゃ!
スポーツの秋、美味しいものをたくさん食べて、バッチリ体を動かそう!
それでは、またね!!
かもめの「ちょっと教えて!横浜今昔物語」
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