皆さん、こんにちは!キャプテンわんです!
8月の北京オリンピックは、あっという間に終わってしまったね。
皆さんはどのシーンが心に残っているかな?
メダルを獲った喜び、夢に届かなかった悔しさ…どちらの思いも感動があったよね。
何と言っても、競泳平泳ぎで北島康介選手が金メダルを獲った瞬間は嬉しかったなあ。
僕も思わず涙が出ちゃったよ。
今回は北島選手へお祝いの気持ちをこめて、横浜の水泳の歴史をたどる旅に出発! 日本で初めての本格的な国際水泳競技大会が行われたのは、明治時代のこと。
明治31年(1898)8月13日、舞台は横浜西波止場の外国人水泳場(目の前にグランドホテルがあったよ!)。
日本泳法の水府流太田派の生徒たちと、横浜外国人クラブの横浜アマチュアローイングクラブが対戦したんだ。
結果は…水府流太田派が2勝1敗で、記念すべき初優勝を果たしたよ! 
ここで、当時の水泳界のヒーロー・鵜飼弥三郎さんを紹介しよう!
前回、海水浴場の歴史の旅で出会った鵜飼さん(横浜体育研究会所属)。
野毛沖合いの忠泳館水泳場で遊泳指導に忙しそうだったけど、実は日本を代表する名スイマーだったんだ。
大正3年(1914)8月10日に開かれた第1回全国水泳大会で、鵜飼さんは大活躍!
100メートル自由形で1分5秒2、800メートル自由形で12分39秒のタイムで見事に優勝したよ!
さらに鵜飼さんの同僚の荻原誠一郎さんが200メートル自由形で3分0秒8で優勝、400メートルリレーも二人の活躍により優勝したんだ。
横浜勢が頑張ったんだね!
この大会は翌年の第2回極東選手権の予選を兼ねていたんだ。
☆極東選手権ってなんだろう?☆
答えは…大正2年(1913)に始まった国際競技大会だよ。フィリピン、中国、日本が主な参加国だった。第1回目は「東洋オリンピック」という名前で呼ばれていたよ!
鵜飼さんは上海で開かれた第2回極東選手権の競泳の種目で、ただ一人の日本人選手として出場したよ。
結果は…50ヤード、100ヤード、400ヤード、1マイルの種目で4冠を達成したよ!
☆1ヤードは約91センチ、1マイルは約1.609メートルだよ!☆ 
(「横浜スポーツ百年の歩み」より)
国内外での活躍により、時の人となった鵜飼さん。
「鵜飼という人はクロールという泳ぎをするそうだ。足はプロペラのように動くそうだ」という評判が広がったよ。
実際のところはクロールの前段階の泳ぎ方になる、水府流太田派の「バタ足小抜き手」という泳ぎ方が誤解されて伝わったらしい。
身長が1メートル60センチくらいの鵜飼さん、「この人が泳げるのか、と思ったほどでした」と噂されていたけど、すごいパワーの持ち主なんだね!
日本競泳界の栄光は横浜から始まったんだね!
時を経て、北京五輪で金メダル2個、銅メダル3個と合計5個のメダルを獲得した競泳日本代表。新たな歴史の1ページが誕生したね。
続く北京パラリンピックでは3大会連続出場で15個の金メダルを獲得した、競泳の成田真由美選手の記録更新に期待が掛かるね。
パラリンピック初出場、横浜市港北区在住の競泳代表、竹内すが子選手にも注目しよう。
もうすぐスポーツの秋!僕も水泳やマラソン、スポーツ何でも頑張るぞ!!
かもめの「ちょっと教えて!横浜今昔物語」
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