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あんどうたかおのバスケにどっぷり

vol.33 ジョン・ウッドゥン

 バスケットボールを知らない方もジャバーという選手のことは聞いたことがあるかもしれません。2m18cmの巨人です。
 この長身でドリブルも上手くスカイフックという高度なシュートを操りNBAの個人生涯得点記録を持つ選手です。
 彼がルー・アルシンダーと名乗っていた大学時代、3回全米チャンピオンとなっています。
 彼がいた大学はUCLA(University of California at Los Angels)と言い、そのコーチこそ伝説の名匠と言われたジョン・ウッドゥン氏なのです。
 そのウッドゥン氏が老衰のため、先日日本時間6月5日にお亡くなりになりました。


ウッドゥン氏の缶バッジ

 弱小UCLAブルーインズにバスケットボール・コーチとして就任してきたのが1948年。
 翌シーズンはNCAAトーナメント(全米大学選手権大会)に出場するもののその後はしばらくご無沙汰状態が続き、1962年から連続出場となり、ついに1964年に全米チャンピオンに輝きました。
 バスケットボールの本場のチャンピオン!さぞかしビッグマンやスーパースターが多いのでは?と想像してしまいますが、全然違うのです。この時の最長身者はなんとたったの197cmしかなかったのです。日本の大学生より小さいんですね。

 当時珍しい2-2-1と言うゾーンプレスを武器に優勝したのです。コーチの力ですね。

 それからは75年に引退するまで、UCLAを7連覇を含む10度の大学チャンピオンに導き、88連勝も達成しました。

 そのコーチング・フィロソフィー(哲学)は彼が造った成功するための方程式「成功のピラミッド(Pyramid of Success)」に現れています。
 勤勉、友情、忠誠心、協力、熱意が一番の基本となり、精神面を強調したものです。


「成功のピラミッド(Pyramid of Success)」

 これでお判りになるように、「バスケットがうまくなる、勝たせる」ことだけを主目的に置いてコーチしたのではなく、「人間教育」をしていた、と言っても過言ではないでしょう。
 そのため「コーチは教育者でなくてはならない」言っております。
 教え子で初代チャンピオンメンバーの一人は「彼は、勝利は過程の結果であると信じていました。そして、私たちに最終の得点よりむしろその過程で努力させることに焦点を合わせることを教え込みました」と言っています。

 

 真面目な性格は実生活にも現れています。
 奥さんのネルは高校時代のガール・フレンドでズーっと愛し続けていて、UCLAの全てのゲームを観戦したそうです。そしてウッドゥン氏はゲーム前に観客席にいる彼女を探してサインを送っていた、というのはアメリカでは広く知られた話です。

 アメリカのスポーツ週刊紙「ザ・スポーティング・ニュース」が昨年7月に「全米スポーツ優秀コーチ」の投票を全スポーツのコーチや関係者で行い、1位に輝いたのがウッドゥン氏でした。
 これは単にアメリカの大学バスケットボール界の名コーチとしてだけではなく、「アメリカのスポーツ界で最も尊敬されるべきコーチ」ということを意味します。

 残念ながら直接お会いしたことはありませんが、ゲームは二度ほどファイナル4(全米大学選手権の準決勝。決勝とパックで行われます)で見ました。
 最初は1973年セントルイス大会でした。私にとって初めての渡米であり、初めてのファイナル4観戦でしたがUCLAにとっては14度目の出場でした。
 初めて見るアメリカの大学選手権。その体育館の大きさに驚きました。何しろエンドラインから逆サイドを見たら向こうの壁が淡くぼんやりとしか見れなかったんです。もっとも原因はタバコの煙が蔓延していたためですが〔笑〕

 一万人以上入るジ・アリーナなのに、選手のワンプレーごとに大きな歓声が沸きあがります。
 普通にシュートが入っただけなのに、日本の総合選手権でブザービーター(ピリオドや試合終了のブザーと同時に放たれ、ゴールに入るシュート)を決めたくらいの歓声です。
 天井が抜けるのでは、と感じたほどでした。日本と大きな差があると感じたものです。

 この年はビル・ウォルトン(現TV解説者)を中心にキース・ウィルクス(現ジャマール・ウィルクス)等で7連覇と9度目のチャンピオンを狙っていました。
 準決勝はインディアナ大ですが、70-59と問題なく下し、いよいよファイナル(決勝)です。

 ファイナルはプロビデンス大を98-85で下したメンフィス・ステート大です。
 ビル・ウォルトンは210cmながらBKIQ(バスケットボール知能指数)が高く、クレバーながら基本通りのプレーで、その上クイックネスがあって速攻にも走る身体能力も持っており、ジャンプが上手でした。両肘をキュッと絞って、頭の上から素早く打つジャンプシュートのフォームは今でも記憶に残っています。そのフォームから繰り出されるボールはことごとくリングに吸い込まれていきます。22本撃って実に21本も決め、メンフィス・ステート大に87-66で勝ち9回目の優勝となりました。

 二回目は75年サンディエゴ大会で、実はこの年彼は引退を発表していて、このファイナル4が最後の大会であり、最後のゲームだったのです。
 このシーズンのブルーインズはメンバーが新しくなり、主力のマーカス・ジョンソンとリッチ・ワシントンはまだ2年生です。
 それでもどうにかこうにかファイナル4まで進出できました。準決勝は教え子デニー・クラムが指揮するルイビル大です。
 競ったゲームでしたが75-74で逆転勝ちしました。

 決勝の相手はケンタッキー大です。ラリー・ジョンソンが松下電器(現パナソニック)で、ジャック・ギブンスが秋田いすゞでそれぞれプレーしていたこともあり日本でもお馴染みです。
 オールアメリカン(ベスト5)に選ばれた選手が3人もいる強豪チームなので、UCLAは不利と言われていました。

 その通りの展開で進みましたが、土壇場でスティールを連発して奇跡の勝利を呼び込みました。
 名将に有終の美を飾らせたいとの想いがそうさせたのでしょう。

 10回のチャンピオンシップと共に彼は引退しました。
 会場でUCLAのチアガールが最後まで涙を流し、踊りながら喜びをかみ締めていたのが印象的でしたね。

 *初期の著書「Practical Modern Basketball」はコーチのバイブルと呼ばれ、日本語訳も出ています。
 コーチ・オブ・ザ・イヤー7回受賞
 バスケットボールの殿堂入り。選手とコーチ両方での殿堂入りは彼が初めてです。

あんどうたかお プロフィール

1946年生まれ。

月刊専門誌「バスケットボール・イラストレイテッド」の編集長を経て、バスケットボール用品のデザイナーとして活躍。特にキャラクター「あんたかベイビー」のTシャツは一世を風靡した。日本初のバスケット・ユニフォームデザイナーとしても活躍。当時強豪と言われる殆んどのチーム<実業団-大学-高校>に関して何らかのデザインを手掛けている。またスポーツ界では唯一のファッションのコラムを持っていた。

現在は自身のユニフォーム・ブランド「305」を立ち上た。

NBAに関しては「月刊バスケットボール・イラストレイテッド」編集者時代の1966年から連載を執筆。TV解説はNHK BS以前にも東京12チャンネルで1985年から行っており、日本最古のNBA解説者と言われている。

過去にはスポニチウェブサイトのNBAコラムを担当。月刊バスケットボール及び月刊バスケットボール・マガジン等に連載を持っていた。

横浜の中学・高校バスケの指導者、関係者とのつながりが深く横浜及び神奈川県のバスケ事情に精通している。

現在は横浜をホームとするBリーグ「横浜ビー・コルセアーズ」の名誉広報として情報発信やプレス対応などチームの広報活動に力を注いでいる。

また(社)神奈川県バスケットボール協会広報顧問も務めている。

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